147-参-国民生活・経済に関する…-8号 平成12年05月12日

平成十二年五月十二日(金曜日)
   午後一時開会
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   委員の異動
 四月二十五日
    辞任         補欠選任
     吉川 春子君     西山登紀子君
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  出席者は左のとおり。
    会 長         久保  亘君
    理 事
                中原  爽君
                服部三男雄君
                海野  徹君
                沢 たまき君
                畑野 君枝君
               日下部禧代子君
                松岡滿壽男君
    委 員
                岸  宏一君
                斉藤 滋宣君
                田中 直紀君
                長谷川道郎君
                日出 英輔君
                吉村剛太郎君
                勝木 健司君
                谷林 正昭君
                堀  利和君
                但馬 久美君
                山本  保君
                西山登紀子君
                大渕 絹子君
                戸田 邦司君
   事務局側
       第二特別調査室
       長        白石 勝美君
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  本日の会議に付した案件
○国民生活・経済に関する調査
 (少子化への対応と生涯能力発揮社会の形成に
 関する件)

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○会長(久保亘君) ただいまから国民生活・経済に関する調査会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 去る四月二十五日、吉川春子君が委員を辞任され、その補欠として西山登紀子君が選任されました。
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○会長(久保亘君) 国民生活・経済に関する調査を議題とし、少子化への対応と生涯能力発揮社会の形成に関する件について意見表明及び委員相互間の意見交換を行います。
 本調査会は、これまで少子化への対応と生涯能力発揮社会の形成をテーマに調査を進めてまいりましたが、二年度目の中間報告書を取りまとめるに当たり、本日は、これまでの調査を踏まえ、委員各位の御意見を伺いたいと存じます。
 議事の進め方でございますが、まず各会派から一名ずつ大会派順にそれぞれ十分程度で御意見をお述べいただきました後、一時間程度委員相互間で自由に意見交換を行っていただきたいと存じます。
 なお、御発言はすべて着席のままで結構でございます。
 それでは、御意見のある方は順次御発言願います。

○中原爽君 自民党の中原でございます。
 私の方からは、各論的に幾つかのテーマを挙げまして、意見表明をさせていただきたいと思います。
 御承知のように、合計特殊出生率、お一人の女性が生涯に産む平均的なお子様の数でありますけれども、統計上は十五歳から四十九歳までの女性の各年齢別の出生率の合計をさらに平均するというようなことであります。それで、現時点、平成十年の時点で、過去最低の一・三八という数字になっております。
 先般の参考人の塩野谷祐一先生の意見発表の中に、統計のシミュレーションによりますと、男女共同参画社会が達成された場合、合計特殊出生率は一・七八までに回復する、こういう予測をおっしゃったわけであります。この予測については、男女共同参画社会において子育てにかかわる環境の基盤整備ができ上がれば、その結果として出生率が回復する、こういう意味でお話があったわけであります。
 しかし、この達成の条件、参画社会を達成する条件というのは、コンピューター上のいろいろな入力データとして設定されているはずでありますけれども、実際に現実の男女共同参画社会の達成時期をどういうふうに見るのかということもまだ定かでないわけであります。
 お手元に配付をさせていただいております資料、二点ございまして、最初のものが女性の年齢別の労働力の率であります。
 ごらんいただきますと、日本のカーブが三十歳から三十四歳のところに大きな谷間がありまして、これをM型、こう称しているわけであります。すなわち、三十歳から三十四歳にかかるちょうど子育てという年代の日本の女性の方が労働力が落ちるという格好になっておりまして、このM型がデンマークあるいはフランスのように台形の形まで持ち上がれば、この時点で男女共同参画社会ということで子育てをしながら労働といいますか、そういう働きができるという社会になるんだ、こういうことであろうかと思います。そういう意味では、このM型を、少なくとも谷底をなくすという努力をするべきだ、こういうことであろうかと思います。
 それともう一点、二枚目の方でございますけれども、これも同じような意味でありますが、これは労働力という表現ではなくて、就業希望率あるいは就業率、こう書かれておりまして、この就業希望率の三十歳から三十四歳の山とそれから就業率の谷、これを総合いたしますと、結果的には潜在就業率という形でスウェーデンのような台形になるんだ、こういう説明をされているわけであります。
 また、その下の図でありますけれども、外国の例で申し上げますと、出生率と労働力ということについては、男女共同参画社会が進行した社会においては女性の労働力とそれから出生率というのが一致をするということで、要するに出生率が高まるんだ、こういうグラフが出ているわけであります。
 こんなことでありまして、我々は男女共同参画社会の達成ということについては、男女雇用機会均等法あるいは育児休業法あるいは介護休業・育児休業法につきましていろいろ改正をやってきておりますし、介護保険も出発いたしました。あるいはエンゼルプランも進行中ということでありますけれども、実際に我々が確認しなければいけないのは、日本における男女共同参画社会という実態像がまだ見えていないのではないかということをこの際付言させていただこうというふうに思っております。
 それからもう一点は、総人口のことでありますけれども、一九九四年に国連が提唱いたしまして国際家族年でありました。そのときのスローガンは、社会の基礎単位であります家族とその家族内を含めて男女平等のデモクラシーを構築するんだ、こういったことがスローガンでございましたし、また、同じ年に国際人口・開発会議がございました。そのときの問題としては、人口問題を検討していたわけでありますけれども、そこで行動計画が発表されまして、女性の性と生殖に関する健康・権利の確立ということを目指しまして、今後二十年を目途に行動計画を定めるんだ、こういうことでございました。
 現在、日本の総人口は一億二千六百万人でありますけれども、これを将来とも維持するためには合計特殊出生率が二・〇八必要だ、こう言われているわけであります。しかし、この二・〇八が確保できないと、五十年後、二〇五〇年には総人口は九千二百万人まで下がる、こういう予測であります。国連の統計を見ますと、日本の総人口というのは決して少ないわけではありませんで、上位八位でございます。したがって、総人口としては、国としては人口が多いという部類に入るのであろうと思います。
 したがって、現在、少子、少子と言われているわけでありますけれども、この少子の状態を回復するという意味においては、総人口一億二千六百万人を維持しろという、単純にそういう発想でいいのかどうかということであります。今後、日本の総人口の適正値はどのぐらいなのかということがわからないわけであります。
 ただ、今の人口数を維持しないと社会が崩壊する、こういう理屈になっておるわけでありますけれども、実際には国土の面積あるいは社会的な資源あるいは生産性、都市集中の経済状況、こういったもののかかわりを検討しながら、その結果として将来の総人口が自然に出てくるのではないかというふうに考えた方がよろしいというふうに思っているわけであります。
 それで、私どものことも含めてでありますけれども、人口問題審議会の報告書などというのが出ておりまして、そこに、夫婦が望んでいる理想的なお子様の数というのが発表になっております。昭和五十九年から平成四年まで、皆さん御夫婦は平均的に二・六人、ほぼ三人の子供が欲しいんだ、こういうふうに言っておられるわけであります。
 この理想的な子供の数とそれと実際の数というのに乖離がございまして、その点については本調査会の平成十一年の中間報告におきましてもそのことに言及しているわけであります。すなわち、平均的な理想子供の数というのは、平成九年で二・五人を御夫婦が望んでおられました。しかし、実際に結婚後十五年から十九年かかりまして夫婦の出生児数が完了したというお子様の数は二・二人でございまして、やはり二・五と二・二と、実際のお子様の数とそれと御夫婦が理想にしておったお子様の数に乖離があるということも我々の報告書では述べたわけであります。
 そういうことで見てまいりますと、現在の総人口を維持するための合計特殊出生率のかかわりというのは、夫婦単位が望んでいる理想的な子供の数、すなわち希望されておられます家族単位の構成人員を維持するということができるような理想的な社会を構築するということがこれから我々に課せられた本当の大事な問題ではないかというふうに思っておりまして、ただ総人口を維持するために子供を産めということではないだろうというふうに思っております。
 これが総人口に対します御意見を申し上げたいというところであります。
 もう一点は、やはり人口に関係いたしまして生産人口でありますけれども、これも御承知のように、生産人口の割合というのは統計上決められているわけであります。
 ここで、先日のこどもの日に発表になりました人口動態の状況でありますけれども、総人口に占める十四歳以下の割合というのが十九年間連続して減少しておりまして、発表になりました数字は一四・七%で戦後最低であります。それと逆に、六十五歳以上の高齢者の割合は、これがまた上昇いたしまして一七・一%、過去最高を記録しておるわけであります。すなわち、少子が進んでおり、高齢化も進んでおるということはとまっていないということであります。
 これをまたどうしたらいいかということでありますけれども、皆さん、参考人の御意見をお聞きしたわけでありますけれども、男女共同参画を支える諸制度というのは大切だと。それに並んで、若い人、年寄り、老若の共同参加も必要であって、エージレスの諸制度も考えろと、こういうふうに御意見が出ておりました。
 また、本調査会の中間報告におきましても、「性差や一定の年齢のみによる差別等のないジェンダー・フリー、エイジ・フリー社会の構築も重要であり、この点からも、本調査会提出の高齢社会対策基本法の適切な運用のみならず、男女共同参画社会基本法や議員による少子社会の基本法制整備の動きを注視していく必要がある。」ということで、我々の中間報告には記載してあるわけであります。
 このことで考えてまいりますと、単純に出生率を上げるという必要性あるいは出生率を回復して労働力を維持するんだという、こういうふうに言う方向と、そうではなくて、この男女共同参画社会を先に確立すべきだ、そして生涯能力発揮社会もあわせて考えるべきだということを先にいたしまして、その結果、労働力の維持、増加が出てくるんだと。すなわち、お子様の数も確保していくことができる、一・七八まで回復できるんだと、こういう考え方がありまして、両方の考え方があります。しかし、これはどちらがどうということではなくて、この両方のバランスが必要だというふうに考えていった方がいいというふうに思っております。
 最後に、家族と世代でございますけれども、一番新しいこの関係のデータとしましては、文部省の中央教育審議会がこの平成十二年四月十七日付で報告書を出しまして、そこに基本的な認識のあり方という項目が四項目ほど挙がっております。
 一つは、いつも言われておりますように、結婚、出産等の判断というのはあくまでも個人の自由な選択にゆだねろと、こういうことであります。
 もう一つ、二番目は、現在行われておりますいろいろな子育ての支援方策というものが、ただ基本的な理念を持たないまま環境整備をするという場合には、子育ての負担軽減で親の利便性を求めるだけになるのではないか。ですから、こういう子育て支援方策については確たる理念を持てと、こういうふうに書いてあります。
 それからもう一点は、国民の一人一人、個々人が子育て支援を担っているんだという社会的な参画意識が必要だと、こう書かれてあります。
 最後に、男女共同参画社会の形成を促進する観点が必要だと、こういうふうに一番新しい報告書は述べているわけであります。
 すなわち、その結婚、出産等にかかわります問題はすぐれて個人的な問題とされているわけであります。そして、しかし、夫婦単位が望んでいる理想的なお子様の数ということ、これを勘案してまいりますと、夫婦二人それから少なくともお子様三人ということでありますと、一つの家族単位が五人ということになります。この家族単位と、その同時期に生まれたコーホートの集団という世代とその世代の前後の世代、この三つの世代間においてやはり今後公平な負担と給付を考えていくというのが国の役目であろうかと思います。
 すなわち、医療の関係、年金関係、それから福祉の関係という社会保障の関係からいえば、このところのお互いの世代の公平な負担と給付を維持するということが私ども政治にかかわっております者に課せられた大きな課題であろうというふうに思っております。
 すなわち、単純に総人口を維持するために出生率を上げろということではなくて、家族が望んでいる、一つ一つの家族の構成人員が社会的にも経済的にも、それから男女平等という面からもお互いにこの新しい社会の中で十分に意識を持って暮らしていけるという、そういう社会を構築するということを目標にして、結果として総人口が出てくるんだろうというふうに考えたいというふうに思っているわけでございます。
 以上でございます。

○堀利和君 私は、民主党・新緑風会として意見表明をさせていただきます。
 まず、少子化の現象について申し上げたいと思います。
 経済的に豊かになりますと、一般的に出生率は低下する傾向にございます。我が国においても、少子化は戦後ベビーブーム以降四十年間なだらかにそのような傾向が進行してまいりました。人口置換水準二・〇八も、一九七〇年を境にその水準が低下してきております。特に一九八九年に出生率一・五七となり、一九六六年、昭和四十一年のひのえうまの一・五八を下回ったことで、いわゆる一・五七ショックと呼ばれました。その後、経済的インパクトを中心に少子化問題が急速にクローズアップされてまいったわけでございます。
 少子化の原因も複雑多岐にわたるわけでございまして、その影響も、労働力減少や社会保障負担など、経済的影響はもちろんですけれども、社会や文化のあり方にも深くかかわってくるわけでございます。
 民主党としても、こうした認識に立ちまして、少子化対策、子育て支援については、重要政策の一つとして位置づけております。子供たちがどのように育ち、成長していくかは、日本の社会の再生の大きな柱と見て、子育てについて家族、地域社会、行政一体となって支えていく観点で少子化対策、子育て支援の多面的なアプローチが必要であるということを提起させていただいております。
 これらの認識は、調査会におきましても、これまでの議論から恐らく政党会派を超えた共通認識となっていると思います。
 短期的には子育て支援の緊急整備が急がれるわけでございますし、中長期的には生活環境、住環境、労働環境など社会システム全体の改革を必要とする本格的な取り組みが求められるわけでございます。
 まず、緊急に整備すべき課題について申し上げたいと思います。
 保育所や保育ママなど保育サービスの整備、育児休業制度の改善、看護休暇制度の創設など、働く女性の育児と仕事との両立を支援する対策であります。国は制度の充実、地方自治体は現物給付サービスの充実がその役割であろうと思います。その観点からも地方分権及び財源のあり方が問われてくるわけでございます。
 次に取り組むべき課題は、出産や育児にかかわる経済的負担の軽減策でございますが、我が国の少子化は経済的な困窮に起因するものではございません。歴史的にも多子による貧困はあっても貧困による少子化はないと思います。したがいまして、経済的負担の軽減策は現物給付サービスと制度の充実を補完するものであるという認識を持つべきだろうと思います。
 そこで、医療サービスの現物給付サービスとしての乳幼児医療費自己負担補助制度、これは都道府県などでも単独事業として行っておりますけれども、これを国の制度としてその対象を小学生まで広げるぐらいの思い切った対策が必要ではないのだろうかというように思われます。
 また、現在、国民福祉委員会において児童福祉法の改正案が審議されております。この改正案につきましては、新たに児童手当を受け取る家庭以外はすべて税負担増ということになります。子育て支援税制や児童手当のあり方としては疑問が残るところでありまして、民主党としては反対しているところでございます。私ども民主党は、そういう点から、十八歳までの子供に所得制限なしで支給する子供手当制度を提案させていただいております。
 これら短期的な課題は、ある意味では財源確保に尽きるわけでございます。適切ではありませんが、つまりはお金で済む問題でもあるわけです。ところが、困難なのは中長期的課題、すなわち生活環境、住環境、労働環境など社会システム全体の改革を必要とする問題でありまして、政府も企業も国民も全員で取り組む合意を形成することが重要であるわけです。
 中でも、働き方を初めとする労働環境の見直しが重要だと思います。固定的な性別役割分業の背景ともなっております働き方であるわけです。ゆとりや余暇をキーワードに多く指摘されながら、十年たちましてもなかなか思うようにはかどらないという現状が見られると思います。都市近郊では遠距離通勤も当たり前となっておりまして、そういう意味では労働時間に通勤時間を含めるような思い切った考え方への転換も必要ではなかろうかと考えております。
 しかし、現状はゆとりとか余暇といいましても、リストラ、解雇、雇用の流動化の波に押し流されているのではないのだろうかとも思います。
 将来労働力不足が懸念されながらも、失業率は一向に改善されません。労働力のミスマッチを埋める再教育課程の整備やワークシェアリングなどに対しましても、早急に対策を講じなければならないと考えます。
 一方、少子化問題は、主にこうした経済的影響を中心に論じられがちでありますけれども、やはり何といっても子供の立場に立った考え方、若者世代の考え方が欠けているようではいけないわけでございます。今後、子供や若年世代の意見や考え方を積極的に取り入れていく必要があろうかと思います。
 同時に、私ども大人の側も、そういうことを踏まえてさまざまな問題をとらえ直していく必要があります。親の過剰期待、過干渉によりまして子供の健やかな成長が阻害されているとの指摘もあるわけです。子離れも必要だと思います。親の自己実現も必要です。子供自身の生きる力を育てていくことも必要だと思います。
 そのように、仕事と子育てが無理なく両立できる社会環境の構築こそが未来型社会であると言えるかと思います。
 最後に、少年犯罪と子育ての環境について触れたいと思います。
 切れるという言葉の流行とともに、少年、少女たちが凶悪化したというイメージが一方に強まっているわけです。名古屋五千万円恐喝事件、連休中に起こりました少年たちの凶悪な犯罪などがそうでございます。先送りと言われながらも、こうしたことが起きて、急遽少年法が国会で審議されるという状況も迎えたわけでございます。
 しかし一方、統計を見る限りは、一九六〇年代は年間おおむね三百件から四百件であった少年殺人も、七〇年代前半には急速に減少し、その後の四半世紀も年間百件を超えるか超えないかという程度が実際の数字でございます。最近の調査報告でも、中学生は年々、受動的、自己中心的、非攻撃的になってきているとの観察もあります。ですから、昨今のショッキングとも言える事件は例外的とも言えるのかもしれません。
 ただ、自殺を含め多くの犯罪には、命の大切さや痛みを感じ取ることのない、簡単にやり直しができるゲームリセット感覚がそこに潜んでいるというふうに思います。それだけに、悩める現代社会の本質が深くあるようにも思われるわけでございます。
 こうした現実にどう向かい合えばよいのか、とても一言では言い尽くすわけにはまいらないわけでございます。しかし、少なくとも言えることは、最も身近で社会の基礎的単位である家族、障害を持つ子も持たない子もいろいろな子がみんなでともに育ち、学び合う統合教育、子供もお年寄りも自然に触れ合える地域社会、そして仕事と子育てが両立できる働き方、これらを二十一世紀に向けて再構築しなければならないというふうに強く感じる次第でございます。
 日本人は確かに金持ちにはなりました。しかし、時間持ちにはなれませんでした。二十一世紀の少子高齢社会を楽しく乗り越えていくためにも、日本人はもっともっと時間持ちになるべきだろうということを申し上げて、私の意見表明とさせていただきます。
 ありがとうございました。

○沢たまき君 私は、本調査会の二年度目のテーマであります少子化の対応等について、公明党・改革クラブの意見を述べさせていただきます。
 少子化への対応策は直接出生率の動向に影響する結婚、出産、育児等に関する対策と、子供の教育、社会保障のあり方、労働力の確保等、これまでの四半世紀以上にも及ぶ少子化の結果生じている、あるいは将来生ずる可能性の高い問題への対応とに大きく分けられると思います。前者は少子化の要因への対応でありまして、後者は少子化の影響への対応であります。
 現在、政府において、少子化への対応を考える有識者会議の提言に即して少子化対策推進基本方針と、その実施計画とも言える新エンゼルプランを策定して少子化対策に取り組んでおり、公明党は、これらの総合的な少子化対策を着実に実現することが我が国の少子化を是正する上で重要であると考えております。
 しかし、これらの内容は、いずれも主に育児の社会的環境整備を行おうとするものでありまして、晩婚化が進んでなかなか結婚しようとしない若い世代への対策や過去の少子化の結果を生ずる問題への対策についてはほとんど触れられておりません。
 本年二月に行いました本調査会の山口、広島両県への委員派遣先におきましても、保育所の整備、育児の経済的負担軽減、意識啓発等、さまざまな少子化対策をしておりますが、なかなかその効果が出生率の向上となってあらわれないとの率直な声も聞かれました。また、本調査会がお招きした参考人の方々からも少子化対策に特効薬はないとの意見なども出されました。
 したがって、少子化対策が目に見える効果を上げるにはその要因への対策と影響への対策を同時に行う必要があり、国の対策もより広範囲な政策を体系立てて拡充し確実に行う必要があるのではないかと考えております。
 そのことを一言申し述べて、公明党・改革クラブとしての基本的な考え方を述べさせていただきます。
 少子高齢化という人口構造の転換、右肩上がりの経済成長の終えんによってその影響を最も受ける年金、医療、介護を含めた二十一世紀における社会保障制度は次のような原則により検討されるべきだと考えております。
 自助、共助、公助の適切なバランス、官民の適切な役割分担、NPOの担うべき領域の拡大等福祉ミックス、世代間の公平、個人の権利の尊重、長期にわたる安定性、以上の原則に基づき自立を重んじて価値を創造する福祉、新社会保障制度の実現を目指すべきだと思っております。このような原則のもとに安定した新社会保障制度の実現のためには、現在の日本の低出生率の回復は至上命題であり、克服していかなければならない課題であると位置づけております。
 しかし、少子化の要因は多岐にわたるさまざまな原因が複合的に作用しており、長期的に忍耐強く、また大胆に取り組んでいかなければなりません。
 そこで、私は、総合少子化対策全体の中で、以下二点に絞って意見を述べます。
 第一は、少子化社会対策基本法の制定についてであります。
 さきに述べた新エンゼルプラン等は広範にわたる少子化対策でありますが、その実施は各省庁の努力にゆだねられ、法整備もまたそれぞれ個別に対応されることとなっております。したがって、それのみでは甚だ実効性に乏しいと言わざるを得ません。
 現在、自民、公明、保守、民主の四党の共同提案で少子化社会対策基本法案が衆議院において議員立法により提出されております。この基本法では、施策の基本理念を明確にし、国の責務、地方公共団体の責務、事業主の責務、国民の責務及び必要な財政上の措置、年次報告の提出、基本施策等を定め、少子化対策を社会全体で進めていくとしています。この法律を制定することによって少子化対策を国民的運動に広げ、実効性を高めることができるものと期待しており、その制定を急ぐべきであると強く主張いたします。
 第二は、子育ての経済的負担の軽減についてであります。
 この件は、児童手当制度を緊急的かつ抜本的に改革して対応していく必要があります。今日、雇用不安に伴って収入が不安定になる中で、最も守るべきは子供たちです。児童手当の抜本的拡充は、低所得者の方々、若い御夫婦、それからこれから結婚する世代にとってどれほど心強いかわかりません。児童手当については今国会で改正案が提出されておりますが、その成立が待たれております。
 さらに、児童手当制度の抜本的拡充については、我が党を初め自民党、民主党、社民党の各政党の皆さんから提言がなされており、その内容には大きな隔たりはありませんし、拡充する方向性に関しては与野党を通じた共通認識となっております。
 現在、児童の養育費については扶養控除と児童手当の両制度があります。扶養控除を税制のあり方の方から見ると、税の負担について人的要素に着目して調整する機能の一つでございますが、所得の高いほど減税額が大きいという問題点を抱えています。これほどの少子化への対応が叫ばれている中で、経済的支援をより必要とする中低所得者に恩恵が少ないのでは制度の見直しをせざるを得ないのは当然です。
 公明党案について説明いたしますと、夫、専業主婦、中学生、小学生、幼児の五人家族のモデルケースで児童手当と税の扶養控除による減額を比較した場合、年収百五十万円以下の場合は、扶養控除による減税額はゼロ、児童手当は年収に関係なく一律四十八万円なので四十八万円の増、年収六百万円の場合は、扶養控除による減税額が十七万千五百二十五円なので三十万八千四百七十五円の増、年収千五百万円の場合は、扶養控除による減税額と児童手当が同額となってプラス・マイナス・ゼロとなります。
 以上のような結果となりますので、私たちは、扶養控除を廃止して児童手当による経済的な支援を行う方が所得階層間のバランスがとれた公平な制度になると思っております。
 また、公明党案では、児童手当の支給対象児童は十六歳未満で、第一子と二子が月額一万円、第三子以降は二万円であり、世帯の所得制限なしに支給することとしております。この案で試算しますと、児童手当の給付総額は二兆九千億円となり、その財源は扶養控除廃止によるものと年金保険料積み立てなどから捻出することとしております。
 年金積み立て等を児童手当の支給財源に使用することについては、保険料の軽減に充てるという本来の目的から外れる要素を含むため慎重な検討が必要であることは当然であります。しかし、児童手当に使うということは、年金財源で将来の年金財政を支える世代を養育することでありますので、将来世代が年金制度に対する理解を深め、身近に感じられるようになるという大きなメリットもあります。このことがひいては年金の保険料滞納者対策にもなるという意見もあります。また、少子化対策は社会全体で責任を負うということからも、さらに世代間の負担公平や子供をもうけた世帯ともうけない世帯の年金財源の負担の公平を図る視点からも合理性がありますし、国民の理解を得られるものと思っております。
 これらのことから、児童手当制度を生活の安定に寄与する制度に抜本改革することに関しては与野党が同一歩調をとれるものであると思っております。ぜひ本調査会として二〇〇一年度に児童手当制度を抜本改革する方向で何らかの提言をしていただきたく、諸先生方の御理解を賜りたいと存じます。
 最後に、西欧の文豪の箴言で、政治の役割は母と子を救うことなりという言葉がございます。母と子の麗しき関係の中に真実の平和と幸福が存在していることを表現したものでございます。それを大事にする家庭、社会、国家は必ず栄えるということを訴えているものでございます。
 少子化対策が緊急の課題になっている今日、いま一度このことを社会全体が認識すべきであることを申し上げまして、公明党の意見表明を終わらせていただきます。

○畑野君枝君 日本共産党を代表して意見表明を行わせていただきます。
 急速な勢いで進む日本の少子化は、今の社会の行き詰まりが最も顕著にあらわれている現象です。特に、非婚、晩婚、女性が仕事と出産、育児を両立できない、男性の育児参加の難しさなど、少子化の要因とされている問題の大きな原因は、長時間・深夜労働など日本の異常な労働の実態にあるという意見は多くの参考人からも出されているところです。この点の改善こそが少子化への取り組みのかぎになります。
 日本共産党は、昨年に引き続き、少子化対策のかなめは男女共同参画を進め、働き方を変えて、家庭と仕事を両立させることにあるという立場で意見を申し上げます。
 少子化問題を考える上で、子供を産むかどうかを決めるのは当事者の選択であるというのは当然のことです。このことは、政府の基本方針や有識者会議などの少子化関係の提言には必ず盛り込まれています。少子化問題の論議の中でこれが省略されたり侵されることがあってはならないと思います。
 その上で、第一の問題ですが、仕事と家庭の両立です。
 女性を家庭に戻そうとする対策は非現実的、不適切、不合理であると当調査会で参考人も述べられたとおり、今や女性の社会参加への流れを押しとどめることはできません。国際的に見ても、女性の労働力率が高い国ほど出生率が高くなっています。
 国立社会保障・人口問題研究所のシミュレーションでの、女性の社会参加と出産、育児が矛盾を来さないような施策をとれば合計特殊出生率は一・七八にという結果も調査会で紹介されたところです。
 ところが、実際は長時間労働に加え、労働者の半数がしているというサービス残業も長引く不況の中で増加の一途をたどっています。女性の時間外・深夜労働規制の撤廃など労働基準法や労働者派遣法の改悪の中で、子供を産む女性はお荷物扱いという職場の実態はますます深刻です。出産後、職場に戻れず解雇される産休リストラや、未婚女性の八二%が役職につくのに対し既婚女性はわずか六%という会社もあるなど、結婚や子育て中の女性に対するペナルティー的な対応が横行しています。
 人口研の調査によると、第一子の出産に当たって仕事をやめた女性は全体の七三%、しかも企業の規模が大きいほど出産後働き続けることが難しいという結果が出ています。日本の女性の労働力率が出産、育児の年齢で谷をつくるM字カーブはこのままでは一向に解消されず、女性が働こうとすれば家庭を犠牲にしていくしかないという現状がございます。
 第二に、それではこの矛盾をどう解決していくのかという問題です。
 かぎは男性の働き方を変えていくことにあるという意見が出されました。今でも日本には男性は仕事、女性は家庭という性別の役割分業が根強く存在しています。三歳までは母親の手で育てるといういわゆる三歳児神話のもとで、仕事をやめて一人で子育てに責任を負っている母親も数多くいます。本調査会でも三歳児神話に合理的根拠なしと繰り返し述べられましたが、性別の役割分業社会を切りかえていく必要があります。
 また、長時間労働のもとに置かれている男性の家庭責任はどうなっているでしょうか。一日の育児を除く家事関連時間は夫二十三分、妻四時間四十五分というのが総務庁統計局の九六年の資料ですが、こういう実態も、いまだに女性が家事、育児のほとんどを担っているために就業できずM字カーブが克服されない理由になっています。
 出生率の回復に一定の成果を上げている北欧諸国についてILOの家族的責任条約の専門家会議報告では、北欧諸国では家族政策は男女がともに経済活動と子育てが両立できることを根底に立案されているとし、男性の家族的責任と役割を政策に位置づけることが大きな柱になっていることを示しています。男女共同参画社会の推進が求められているということです。
 第三の問題は、仕事と家庭を両立できる子育てしやすい環境づくりの問題です。
 日本の特殊出生率が一・三八と過去最低を更新し続けています。理想の子供数を持とうとするために必要な施策の調査では、育児休業や子供の病気などで休暇がとりやすいなど子育てに理解のある職場環境、保育所の充実などが上位に挙がっています。
 これまでの一九九四年のエンゼルプランや緊急保育対策五カ年事業は十分にその目標が達成されないまま、今回の新エンゼルプランに引き継がれております。その点で、今こそ、保育所や学童保育を初め、抜本的に予算をふやしていくべきです。
 特に、約四万人いる待機児童の解消、大都市部で深刻なゼロ歳児の待機児童の解消は喫緊の課題になっています。
 同時に、安心して子供を預けられ、子供の豊かな発達成長を図ることのできる保育内容の充実など保育制度の整備を進めることが大事です。子供の看護休業、育児・介護休暇の充実も必要です。
 第四に、経済的負担の軽減の問題です。
 理想の子供数を持てない理由として、子育てや子供の教育への経済負担が上位に挙がっています。
 乳幼児の医療費助成制度は、経済的負担の軽減のみならず、乳幼児に対する医療、特に早期発見、早期治療にとって大事な問題です。国としてしっかり取り組むべきだと考えます。
 不妊治療への保険適用拡大も切実な要望になっております。
 また、子育て支援のためにも児童手当の拡充は必要です。しかし、今回の児童手当法改正案のように財源を子育て世帯への増税というやり方で賄うのではなく、長期的な視野に立って国の財政運営のあり方を含め抜本的に見直すべきと考えます。
 消費税の増税や高齢者対策から今度は少子化対策へ社会保障を振り分けるという議論もあります。しかし、海外と比較すると、社会保障への国庫支出の割合は、イギリスの一二・四%、ドイツの七・四%に対し、我が国はわずか三・四%です。社会保障を予算の中心に切りかえていくことが子育て支援を進めるためにも避けては通れない課題です。
 奨学金制度の抜本的拡充、授業料軽減など教育費の負担軽減も求められています。
 第五に、生まれてきた命を大切に育てていくという問題です。
 昨今の児童虐待、少年犯罪に私も心が痛みます。背景には過度のストレスやいじめ、経済的貧困など見過ごすことのできない問題があります。これから子供を産み育てようとする世代にもこうした現状は将来の不安をかき立てるものとなっています。子どもの権利条約の精神を生かし、子供と教育の問題に国民みんなで取り組むべきではないでしょうか。
 そのほかにも、住宅など環境の整備、バリアフリーの町づくりなどが必要なことは言うまでもありません。
 最後に、少子化の問題は個々の施策だけでは乗り切ることができない問題だということです。
 まさに、国づくりの姿勢が問われています。豊かで人間らしい暮らしの実現は多くの国民が望んでいることです。こういう社会の実現が少子化への取り組みの上でも大切です。
 一つには、雇用の安定とサービス残業の根絶を進め、企業の一方的な配転や単身赴任をなくして、労働者とその家族の人間らしい生活を保障する、当たり前のルールを持った国にしていくこと。
 もう一つは、税金の使い道を暮らし、社会保障中心に切りかえること、これが今こそ求められているのではないでしょうか。男女共同参画社会の実現は社会保障の支え手をふやしていくことにもつながります。
 男女がともに家庭や地域の責任と仕事を両立できるような多様な働き方、生き方を実現できるよう、その環境整備が提唱されている有識者会議の提言などを生かして、当調査会としても、個々の施策にとどまらない少子化対策の大きな理念、柱をしっかり持つことが必要です。調査会の提言もそういう姿勢でまとめていく必要があるのではないかということを申し上げまして、意見表明といたします。

○日下部禧代子君 社会民主党の日下部禧代子でございます。
 最近、少年による衝撃的な事件が相次いでおります。愛知県豊川市では高校三年生の男の子が殺人の経験をしてみたかったという理由で見知らぬ主婦を殺害しております。佐賀市に住む十七歳の少年が高速バスを乗っ取り、一人の女性が殺されました。名古屋では少年たちが五千万円にも上る恐喝事件を起こしております。
 一方、親が子供たちを殴ったり、養育を放棄したりする子供虐待も増加しております。厚生省の報告によりますと、一九九八年度中に全国百七十四カ所の児童相談所に寄せられた相談が過去最高の六千九百三十二件に上り、それは前年度の一・三倍、九〇年度の六・三倍、六倍を超えております。しかも、これは相談件数でありまして、虐待の実数はもっと多いはずであります。虐待者としては母親が半数以上を占めております。
 子供の数は減少して、一人っ子がふえております。にもかかわらず、子供たちが大切にされていないという現象が目立つばかりではなく、母親の育児ノイローゼが急増しております。
 このようなますます増加する子供を取り巻く病理現象を分析することは簡単ではありません。それはひとり子供たちだけの問題ではなく、大人たちの問題でもあるからであります。また、個別的な問題と社会的な問題が複雑に絡み合っているからでもあります。
 同様に、出生率の低下、少子化の問題について考えますとき、単純に解答を見つけることは困難であるばかりではなく、それはむしろ危険でもあると思うのであります。なぜなら、結婚すること、子供を産むことは、すぐれて個人的なことでありプライバシーにかかわることであります。と同時に、その結果は人口構造、家族構造、社会構造の変容をもたらし、ひいては雇用等経済構造、社会保障制度を含む社会システムに対しても重大な影響を与える極めて社会的な問題でもあるからであります。
 したがって、少子化問題に関する政策を論じる場合、その基本は戦前の日本やドイツのようないわゆる産めよふやせよ政策ではなく、言葉をかえれば少子化の進展に歯どめをかけるというような哲学ではなく、子供や女性の権利保障の視点をすべての政策に貫くということであります。安心して子育て、子育ちができる社会をいかにしてつくるかということでもあるわけでございます。子どもの権利条約の理念を具体化して、子供の最善利益の尊重や一切の差別禁止、子供の意見表明権などを踏まえて、子供の人権を確立することが柱となるべきであります。
 また、産む産まないは女性の選択であり、女性の生涯を通じた健康をカバーするためリプロダクティブヘルス・ライツ、性と生殖に関する自己決定権を保障することが大前提とされねばなりません。
 では次に、社民党の子育て、子育ちへの総合的な支援システムについて述べさせていただきます。
 まず、社会的な子育ての基盤整備のためには待機児童のみならず、乳幼児や病児、病気の子供のことでございます、障害児などの保育を必要とするすべての子供が受け入れられるよう保育所などの新設拡充を進め、そのために必要な保育士、指導員などの身分保障と雇用機会の拡充が重要であります。
 社会的な子育ての基盤整備を確実にするために、二〇〇〇年度を初年度とする新エンゼルプランを着実に実施するとともに、目標を前倒しし大幅に引き上げた計画を策定しなければならないと考えております。
 次に、保育所の拡充であります。
 病後児保育の対象を拡大し、制度の周知徹底、利用しやすい制度とすべきであります。また、とりわけ低年齢保育における待機児童を早急に完全解消しなければなりません。延長保育の一般化や認可外保育所などへの支援を強化し、保育環境を整備することが急務であります。
 事業所内託児施設を設置する事業主への助成措置を拡充するとともに、施設の新増改築や設備、用具の整備のみならず、保育士を初めとする子育てヒューマンパワーを増員するなど、子育てに関する最低基準や配置基準を引き上げることも必要であります。
 次に、地域社会における子育て支援強化であります。
 福祉と教育の連携が求められる中、学童保育、放課後児童健全育成事業を拡充し、指導員の身分保障、労働条件の確立とさらなる雇用創出を図ることも急がれる課題であります。また、地域全体で子育て支援を行う観点から、育児不安についての相談、助言、支援を行う地域子育て支援センター及び複雑多様化する子供の問題に対応する児童相談所、児童家庭支援センターを利用しやすいものとし、その拡充が必要であります。
 四番目には子供手当の創設であります。
 保育所や学童保育の拡充とともに現金給付という経済的な支援も重要であります。
 社民党は欧米に比べ圧倒的に低い水準の現行児童手当制度を抜本的に見直し、全額国庫負担の子供手当の創設を提案しております。その支給対象は義務教育終了までの児童とし、収入制限は世帯収入一千万円以下、支給月額は第一子一万円、第二子二万円、第三子以降三万円、この間は現行の個人所得税における年少扶養控除を停止するというものであります。
 今回の政府の改正案につきましては、その対象年齢を義務教育就業前までの六歳まで広げるにとどまる一方で、昨年加算したばかりの年少扶養控除を引き上げた結果、教育費などの負担が最も大きい中高校生の子供を持つ世帯は大幅な増税になってしまったことなど、問題点が多いことを指摘しておきたいと存じます。
 次に、子育てと連動あるいは両立する就業形態、給与体系の構築についてであります。
 少子高齢社会の急速な進展に柔軟に対応できる雇用システムを構築し、男女労働者の仕事と家族的責任、育児、介護などの家族的責任の両立に向けた抜本的な支援策が不可欠であります。この観点から、まず育児・介護休業をとりやすくする環境整備の一環として、休業給付にかかわる所得保障水準の六〇%への引き上げが必要だと考えております。次に育児・介護雇用安定助成金の拡充であります。三つ目に時間外・休日労働、深夜労働等の実効ある規制であります。四つ目に育児や介護などアンペイドワークの評価の確立であります。五番目に、家族介護休暇の法制化などが必要であると考えております。
 以上、子育てあるいは子育ちのための環境条件整備についての社民党の考え方を御紹介いたしました。
 最後に申し上げたいのは、少子化への対応は、子供の問題、女性の問題、出生率の問題等々、個別的に切り離して考えるのではなく、子供の問題は大人の問題であり、女性の問題は男性の問題でもあるというトータルなとらえ方が不可欠であるということであります。
 人生八十年時代を主体的に生きるには、個人の人生観だけではなく、それを支える社会システムが変わらなければなりません。個人にとっての尊厳が守られて初めてお互いの真のコミュニケーションが生まれてくると思うのであります。
 他者から理解されていない、あるいは無視される、そのことが人間にとって最も悲惨な状態であると言ったのはマザー・テレサでありました。安心して子供を産み育てることのできる社会とはどのような社会であるのか、その方向とその姿を示唆してくれる言葉であると思うのであります。
 これまでさまざまな立場の参考人の方々から多くの興味深いお話を伺う機会を与えていただきましたことを感謝いたしまして、私の意見表明を終わりたいと存じます。
 ありがとうございました。

○松岡滿壽男君 参議院クラブの松岡滿壽男です。
 ちょっと風邪を引いて声が出ませんが、済みません。
 この一年ぐらいの間に、国民生活・経済調査会で、少子化問題に対して海外視察とかあるいは参考人、国内の視察、非常に参議院らしいテーマで有意義な意見交換ができたというふうに思っております。
 実は、十数年前ですか、昭和六十一年に参議院に国民生活調査会ができまして、当時、私も林健太郎団長について高齢化問題で海外視察に行ったのを記憶しておるんですけれども、それに基づいて高齢化対策基本法ができたわけです。私どももこの調査会でそれがやれると思っておりましたところが、先ほどお話に出ましたように、衆議院で議員立法が議連の中で出てきておるわけです。
 一年近くの間、斎藤議長が例によって参議院のあり方論についての私的諮問機関、これも代表者会議におりてきたようでありますけれども、そういう参議院のあるべき姿から見たときに、やはりまさに少子化対策は参議院で議論し基本法として出すべきものであったというふうに私は思っておりますし、この前も予算委員会でその辺について青木官房長官に意見を問いましたら、まさにそれは参議院でやるべきだと私も思うという答弁もいただいておりますので、せんだって理事会で久保会長にも私申し上げておりますが、ぜひこの問題をどういうふうに収拾するのか、しっかり衆議院とも話を私はされるべきだというふうに思っております。まずそのことを申し上げておきたいというふうに思います。
 それから、国連統計なんかで見ますると、現在六十億ぐらいの世界の人口が、一昨日ですか、インドが十億人を超したわけです。五十年先にはインドが十五億、中国がそのまま一人っ子政策を続けていけば十三億。結局、人口爆発で六十億が八十九億になる。しかし、先進国は軒並み減っていくわけです。アメリカは三億九千万ですけれども、ふえていくのはヒスパニックを主体としてふえていく。だから、一種の人口減少、少子高齢化というのは先進国病であろうというふうに思われるんです。かなりこれは深い病気だというふうに思うんです。
 去年フランスへ行きましたら、フランスの女性の国会議員さんが、人間はやっぱり豊かになると男女ともにエゴイストになるんですよということを言われましたのが非常に私は耳の中に残っているんです。というのは、フランスは一九三〇年から少子化対策をやって、現在、予算のうち三兆円も一年間に使い込んで、それでもなかなかうまくいっていない。スウェーデンとかいろんなところも見てきましたけれども、そういう状況の中で、この問題はあらゆる手だてを尽くしていかなきゃいかぬけれども、最終的にはスウェーデンは移民に頼らなきゃいかぬというような考え方を述べられる国会議員さんもおられました。そういうことを考えると、相当深い病気になっておるということを思わざるを得ない。
 そのためにどうしたらいいのか。
 我が国は今四つの大きな荷物をしょっていると思います。一つは人口減少です。厚生省の予測のように六千万人になる、百年先に。人口が減っていく。もう一つは七百兆円からの国、地方を通じる借金を抱えている。こうなってくると、財政再建というのは増税するのかあるいは歳出を削減するのか、この組み合わせでヨーロッパはずっと苦労してきておるわけですから、その方向しかないだろう。そういう大きな荷物をしょっておる。
 その中で地方分権を進めていくためには、斎藤精一郎教授が言われるように道州制の導入、それから三千三百の市町村を三百にしなきゃいかぬとか、それで二十兆節減できるんじゃないかとか、いろんな議論がこれから展開されていくだろうと思います。
 だから、人口が減るということと、借金をどうやって片づけていくのかという問題と、経済が非常に変質してきている。せんだってもクエスチョンタイムで弱い経済とかいや強い経済を新しくつくらなきゃいかぬとかいろんな議論が出ておりましたが、そう簡単なものじゃない、経済の変質というものは。この三つに加えて、警察官のいろんなさまざまな問題、少年のいろんな犯罪、社会の病理といいましょうか、人心の荒廃といいましょうか、これをどうやって克服するのか。
 この四つの問題を乗り越えるために、少子高齢化社会に対してどのように我々が政策をぶつけていくのかということが背景にあるだろうというふうに思っておるわけであります。
 そのためには、日本全体をスリムで効率的な、国も地方も、あるいは政治の世界もそうですし、官僚システムとか社会のシステム、それから家族の中でもスリムで効率的なものをどうやって築き上げていくかということがやっぱり問われておるだろうというふうに思うわけであります。
 それで、先ほど来、先行議員の皆さん方からおっしゃられる御意見は私もそのとおりだと思います。しかし、その中で幾つか問題を私から指摘させていただきますと、まず三歳児神話の話です。これは私は非常にひっかかっている話です。
 広島大学の原田学長が胎教と三歳児の話をされたら、岩男壽美子さんとかいろいろ出てこられて、それは三歳児神話で女性を家庭にとどめることなんだという厳しいことを言われましたが、そういうことをおっしゃっておられる方々も、後から議事録見てみると、やっぱり幼児の教育は基本的に大事ですということは言っておられるんです、きちっと、これは。
 私が非常に気になっているのは、山口のゼロ歳児保育のところに行きましたら、あそこの保母さんがどうしてお母さんが預けに来られるのかわかりませんということを言われました。そういう施設ができたらやっぱり預けに行っちゃうわけですよ。
 それでいいのかなと。数が減っていくんですから、質のいい子を育てなきゃいかぬ。そのためにこの辺の問題は、今のゼロ歳児保育とか保育所、いわゆる厚生省のレベルで受けとめていいものなのかどうなのか。やっぱり教育という問題になると、この前から、政府参考人の答弁聞いてみるとどうもすっきりしない、保育と教育との問題。だから、この問題をきちっと一度整理しなきゃいかぬという問題が私はあると思います。
 それから、当面は、せっかく、山田助教授ですか、パラサイトシングルということを言っておられる。これはまさにある面では日本の今抱えている病理だと思いますね。世界じゅうどこの国だって、やっぱり子供たちは、学校を出て、自立して、就職したら家庭から出ていくわけでしょう、新しい家庭をつくるために。それが日本の場合は家庭にとどまっているというところのこの問題をどういうふうに早く、五百万人ペアができたらこれはもうとりあえずは大変な効果が上がるわけですから、景気対策にもなるし、これを一体どうするんだという問題。
 それと、ニューヨーク・タイムズでも何か論評しておったようですけれども、いわゆる渋谷での若いお嬢さん方のガングロ、茶髪、あれだって昔はちゃんと家出してやっておったと。ところが、日本の子供は家庭から職場に通っている、それで親が怒らなくなったんじゃないかという指摘をニューヨーク・タイムズでされているわけですね。
 だから、そういう先ほど申し上げましたように日本がしょっている人口減少、少子高齢化、それから大借金をどうやって返していくのか、それから経済の仕組みをどうやってつくり上げるのか。人心の荒廃をこれ、いわゆる日本民族としてのアイデンティティーをどうしていくんだというものに深くかかわり合いながら、この少子高齢化の問題はとらえていかないと道を誤つことになりはせぬか、ここを一言申し上げて、お聞き取りにくかったと思いますが、私の方の意見を終わらせていただきます。

○会長(久保亘君) 以上で各会派の意見表明は終わりました。
 これより委員相互間の意見交換を行います。
 おおむね一時間程度といたしたいと存じます。
 御発言のある方は、挙手の上、私の指名を待って発言されますようお願いいたします。
 それでは、御意見のある方は挙手をお願いいたします。

○日出英輔君 これまでの調査会での参考人のいろんなお話も大変ためになったといいますか、通常聞いていないことを、聞けなかったことのお話を伺ったり、あるいはきょうの各議員の方々のお話、大変まとまった形で、いいお話を伺ったわけでございますが、なおかつ私はやっぱり隔靴掻痒の感があるということで一言実は申し上げたいわけでございます。
 少子化への対応というのは、今の労働あるいは教育問題、経済問題、その他、少子高齢化が背景になっていないものはないぐらい実はあらゆる問題に影響しているし、そういう意味では、この問題の幅広さあるいは深さという問題はあると思うんですが、私は、ただそれをこの調査会で全部やるといいましてもなかなか難しいわけで、やはりこの調査会らしい特色を出すべきではないのかなというふうに、ちょっとおこがましいのでございますが、そういうふうに昨年から考えてきたわけであります。
 そういう意味で、前回も、ちょっと政府側への質問のときに申し上げたのでありますが、少子化対応という、端的に言えば、少子化が進んでいく中での政策対応をどうするかという問題よりもう少し掘り下げた問題をやはりこの調査会は取り上げないと、調査会としての議論にならないのかなという感じが実はしております。
 そういう意味で、沢議員が先ほど、少子化の要因と少子化の影響を同時に議論していく、これは方法論としてそういう議論だと思うんですが、少子化の影響を受けている制度というのは、あるいはこれをどういうふうに直していくかという議論はあらゆるところで議論はされておりまして、私はどちらかといいますと、今の沢議員のお話でいえば、少子化の要因というところにもう少し何といいますかアクセントを置いた議論をすべきではないかと思います。
 そういう意味で、先般の政府の少子化対応の基本方針なんかをちょっと見せてもらいましたら、今の少子化への影響と少子化の要因に対する対応とごちゃまぜになっておりまして、何かちょっと間の抜けたような話がありました。私は、ああいうのでは、あらゆるものが何か少子化対応でありまして、政策としての目標もはっきりしなければ、効果ももちろん検証できない。ああいうものではなくて、もう少し、言ってみますれば、少子化をやはりどう克服していくのかという議論をすることがこの日本社会の、先ほど松岡先生のお話では病理とおっしゃいましたか、病根とおっしゃいましたか、そういうことをえぐり出す一つのやはり問題提起になるんではないかというふうに思います。
 そういう意味で、二年目のこの調査会の取りまとめのときに、やはりそこは分けて、少子化への対応という議論なのか、少子化を克服するという議論でしようとしているのか、この議論を分けていただかないと、あいまいもことした形になりはしまいかという心配をしております。
 それから、なお、ちょっと私の実感でございますが、私は比較的、仕事柄、地方をかなり田舎の方も回っております。少子化というのはこれは大変でございまして、家庭がなくなっていく、あるいは地域社会がどんどんなくなっていくという問題なんです。いずれはこれは、地方の問題は都市も当然出てまいります。今、我々のこの見渡す大都会は、地方からの人口の移動もありまして、地方の血をヒルのように吸って、何とか若者も見えるようにありますが、いずれは家庭が消えていく、あるいは地域社会が消えていくという問題でもあります。
 私は、やっぱりこの結婚とか出産が個人の、当然自由に選べるべきものではありますけれども、やはり人口が減少していくということが一つの社会の病理だというふうにとらまえて考えないと、何か少子化を克服することについてちゅうちょをすることがあったんではうまくないんではないかという、そういう感じが実はいたしております。
 そういう意味で、私もよくわからないのでありますけれども、この対策で男女共同参画型社会の形成とか一般論でお話しになるのはちょっとあいまいもことした形の議論になるんではないかと思います。
 そういう意味で、何か配られておりましたけれども、二年目の調査会の取りまとめとして、かなり具体的なテーマを挙げてこれについての議論を整理されているということを大変私は結構なことだと思っております。
 また、一言だけ申し上げますれば、参考人の意見をずっとかなり聞きましたのですが、参考人の方もどういう問題意識でお話しになっているのか、あるいは調査会としてどういう問題意識でお話ししていただきたいとしているのかというところが、私は人によって大分違っていたのではないかという感じがいたします。ちょっと言い過ぎましたが、そういうことでございます。
 ちょっと私見を述べさせていただきました。

○会長(久保亘君) 沢さん、何かありますか。

○沢たまき君 同時にというのは、有識者会議では対応を考えていくだけで、その対応を考えていったら影響もわかるだろうという、こういう姿勢でやっていらっしゃるんですが、でも同時にやってもらわないと、これは鶏か卵かと同じ論だと私は思いましたので、二つ頭にインプットしてやっぱりやっていかなければいけないんじゃないのかなと思いました。
 それからもう一つは、一番最後に申し上げましたけれども、箴言を通して、政治というのは母親と子供を救うものだというその言葉からしますと、女性を大事にしている家庭、地域社会あるいは国というのは栄えていくぞというふうにちょっと国連の明石大使とお話ししたときにもそんなふうにおっしゃっておりました。
 男女共同参画ということをもっとしっかりとやっていくべきかもしれませんが、少子化をとめる、少子化対策をどうするか、影響をどうするか、本当に先生がおっしゃったみたいに大変深い問題でございますので、何をどうしていいかわかりませんが、しかし簡単に言ってしまうと、男性は子供は産めないわけで、産むのは女性でございますし、ここにいらっしゃる先生方は本当にインテリでいらっしゃいますけれども、今、望まない子供を産んでいる世代が若い世代であります。
 ごらんのとおりに、NHKの朝の連ドラもシングルマザーの問題を取り上げてドラマにしております。NHKらしからぬ大胆なドラマだなと思いましたけれども、それを取り扱っている。お父さんとお母さんの心情、それから子供が自分で責任を持って育てると言っている、このドラマが大変、何のクレームもつかずに視聴率が上がっているということは、やはりシングルマザーという問題、それから高校生、中学生で望まない妊娠があるということもございます。少子化といいながらそういう傾向もありますし、そして本当に若い子の中絶もあります。
 そしてまた、松岡先生がゼロ歳児を預かるというのはいかがなものかとおっしゃいましたけれども、ゼロ歳児を預けて働いておりました、私。それから、今、橋本聖子議員もそのとおりでございますし、出産後も、昔だったら三、七、二十一日と言ったのに、すぐ一週間ほどで出ていらしてもう議員をやっていらして、体は大丈夫かなと私たちは心配するわけでございます。
 そのように、女が働く場、あるいは女が出産するのは結婚によるだけと限ってございませんので、男の先生方にはさまざま考えていただきませんと、公立でゼロ歳児を預かっていただかないと、認可されていない、窓も何もない、堂本先生がこの間福祉委員会ですごくふんまんやる方なく丹羽厚生大臣に食い下がっていらっしゃいましたけれども、何にもないもう劣悪なところで子供を、三十人ぐらいの零歳から三歳ぐらいまでをたった一人の保母が見ている、そしてそれを経営しているのはダンプの運転手のお父さんだったと。そういうのが二十年前から減ってはいない、かえってふえているんだというお話で、丹羽厚生大臣に大変食い下がっていらっしゃいました。
 さまざま、きれいごとでないところもございますので、やはりゼロ歳児から、あるから預けるんだというのでなくて必要に応じて、やっぱり預けなければ働けないという女性もおりますので、ぜひともそれも全部勘案していただきながら御審議を進めていただきたいなと思うわけでございます。

○西山登紀子君 私もこの少子化の問題、議員になって以来ずっとかかわってまいりましたけれども、この調査会で非常に濃密な調査が行われてきたというふうに私も感謝をしているわけですが、私自身も認識が非常に深まってまいりました。当調査会全体としてもそうだと思うんですけれども、とても認識が深まったんじゃないかなと思うんです。
 新しいポイントとしては、今まで少子化問題、女性が子供を産む、産まない問題というふうな単純化するような傾向から、私はやっぱり当調査会の今の到達点というのは、この少子化問題というのは日本の若い男女が家族を持てなくなっている、あるいはおじいちゃんが孫を持てないというんですかね、おばあちゃんもそうですけれども、そういう社会問題として共通の認識になったんじゃないかというふうに思うわけですね。
 そういう認識のもとでやはり少子化対策をどうしていくかというときに、先ほど理念が必要だというお話がありましたけれども、ここの調査会で私はコンセンサスになれるんじゃないかというふうに思っておりますのは、やっぱり子供を産むかどうかを決めるのは当事者の選択だと。これも一つ共通認識になれるものではないかと思います。
 それから、有識者会議の方で言われたことですが、今さら女性を家庭に戻す対策は非常に非現実的だし、不適切だし、不合理であると。これが有識者会議の提言として述べられたということは私は非常に大事なことではないかと思います。もうそういうふうなところには戻ることはできないし、やはりそういう先を見通した、女性の社会進出あるいは女性の自立ということとあわせて社会がどういうふうに成熟するかという問題としてとらえないとだめじゃないかなというふうに思うわけですね。
 先ほど来、三歳児神話の問題で言いますと、これは私自身が産休明けで子供を働きながら育ててまいりました。そういう意味では、何回も申し上げておりますように、保育所に預けるということ即悪ではありません。ただ、保育所が劣悪な条件であった場合には、それはやっぱり子供の発達を十分に保障するものにならないということはあるわけでございまして、だから一対一保育にしなきゃいけないよとかいろいろ問題提起を皆さんがしてこられたんですが、しかし今はやっぱり保育所に預ける、そして母親も慈しみ育てるという二つのことが相まって幼児教育というものは全体としていいものになるんだというのが大体の共通認識じゃないかと。いつまでも三歳児神話にとらわれているということはちょっとまずいんじゃないかなというふうに思っております。
 それで、女性団体の中には、この少子化対策を進めるということに対して、戦前の産めよふやせよになるんじゃないかとか、あるいは戦前は女性は三界に家なしということで経済的また性的にも男性に隷属した存在ということでございましたので、そういう点で非常に警戒心がぬぐい切れないというのがあります。
 私はこの調査会が何らかのまとめをする際に、一つの理念という、立脚点というのは、先ほどお話にありましたカイロの人口問題の国際会議、それから北京の世界女性会議の視点、リプロダクティブヘルス・ライツというこの視点ですね、これは女性だけに対して保障されている権利じゃなくて、男女のカップルについてきちっと保障されなければいけない性と生殖に関する健康・権利ということですから、この視点が非常に大事だということと、外国で行われた国際会議だけじゃなくて、私はやっぱり日本国憲法第二十四条にきちっと明記がされております視点が大事じゃないかと思っております。それは、「離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」という日本国憲法第二十四条の規定、これをやはり立脚点として、こちらの調査会が何らかのまとめをする場合には重要じゃないかというふうに思っております。いかなる国家的な目標も、これは大いに女性団体なんかは反発をするでありましょうし、それはするべきではないということを申し上げたいと思います。
 それから二つ目の点は経済的な支援の問題なんですけれども、これ、乳幼児医療の無料化の問題ですね。
 これは何回も言っているんですが、一つ現在の到達点として資料をいただいております。平成十一年四月一日現在で入院、通院を実施している自治体はどうかということで、私、去年の平成十年四月一日現在と比較をしてみました。
 それをいたしますと、はっきり出ておりますのは、自治体は率先してこの乳幼児医療無料化の制度を拡充しているわけです。入院の場合には未実施の自治体はゼロでございます。入院の乳幼児医療の無料化が、例えば三歳未満というのは五一・〇%の自治体で既にやられておりますが、四歳未満がプラス八十五自治体ふえております。それから五歳未満がプラス三十七ふえて七十五、六歳未満はプラス四十で三百八十八、就学前は四十二ふえて四百六という形で実行がされていっていると。だんだん上の方に拡充をされてシフトされていっているわけですね。
 通院の場合も、これは見事なんですけれども、四歳未満以上に拡充していく傾向が出ております。通院、四歳未満は百十一自治体がこの一年でふえて四百九十七ですね。これは平成十一年四月一日までの一年間でふえたわけですから、これ、十二年四月一日から実行する自治体はかなりふえておりまして、私の地元の京都でも劇的にこの制度の拡充が今進んでいるところでございます。
 ですから、こういう生まれてきた命の早期発見、早期治療ということにも貢献いたしますし、子供を産んでみようかなというときの見通しを立てるときに乳幼児医療の無料化があるんだよということで安心ができる。こういう非常に実効のある制度をなぜ国がいまだに渋っているのか、いつまでも渋っていていいのかということを私は申し上げたいし、地方自治体がこれだけ拡充しているわけですから、その制度の合理性と必要性というのは十分にもう示されているんだというふうに思うわけでございます。
 最後に労働問題なんですけれども、この間、男女の働き方、働かせ方がやはり問題だという大きなテーマがございました。
 それで、これは人口問題研究所の調査なんですけれども、私もなるほどなと思ったのは、全国家庭動向調査というのをいただいたところ、第一子の出産に当たって仕事をやめた女性は全体の七三%、企業別に見ますと、千人以上の大規模企業では仕事を続けることができた方は一三・七%ということで最も低い率が出ております。最も高いのはやっぱり公務員の職場ですね。
 こういうところから、民間の企業任せにしておいたのでは、体力のある大企業が最も出産をして勤めが続けられないということは、これはやっぱり何らかの意味で制度的なルールを社会がきちっと持たないと、女性が経済的に自立を続けていこうと思えば一方の家庭を持つということを捨象する、あきらめる、あるいは積極的な意味でもう要らないという決断をする、こういうふうな状況になっているんじゃないか。
 この点でも、やっぱり日本の異常な長時間労働だとか、あるいは男性が家族的責任を果たせないというこのゆがみ、女性は深夜勤務の解禁とか、こういうようなことになっておりまして、政府が少子化対策を言っている割には、むしろやっぱり逆行するような施策が実行されているんじゃないかという点で私は大変危惧を持ちます。
 本調査会がじゃどういうふうに今後やっていくのかということなんですけれども、やっぱり若い人の意見を聞いてみたらどうか、あるいは女性の労働者の方でいろいろな問題を持っていらっしゃる方を参考人に招くなりなんなりして直接意見を聞いてみるということも必要じゃないかと思うんですね。そういうことも提案を申し上げまして意見とさせていただきます。

○会長(久保亘君) ほかに御意見はありませんか。

○海野徹君 いろんな方々の御意見をお伺いしまして、若干少子化への対応ということで私なりに話をさせていただきます。
 これからIT革命がますます進みますから、当然インターネットというか、ネットワーク社会の中に二十一世紀は入っていく。となると、当然ボーダーレス、グローバルというのが基調になってくると思います。そういう中で、我々が属している国家、あるいは自分がそこに存在するということを確認するユニットというのはどの程度なのかという議論をしていく必要があるんではないか。でないと、やはり民族とか国家とか国境とか、そういう問題が二十一世紀に大変大きなテーマになる。
 少子化への対応の中で、先ほど松岡先生から移民という話もありましたが、経済的な面で活力を今ある国境、国家の中で維持するためにどうするかという問題もあるかもしれませんが、そうではなくて、やはり日本とは何か、大和民族とは何か、日本国家とは何かという、あるいは組織としての最小単位を、私は男性一人、女性一人の二人のペアが組織の最小単位だと思いますから、それが発展するということは何なのかという基本的な議論を私はする必要があるんではないかということを一点思います。
 国内的な要因としては、やっぱり若い層の方々の意見をいろいろ聞きますと、非常に将来に対する不安要因が幾つか出てきていることを彼らは表明しているわけです。それは、この二、三年というか、もうちょっと行くのかな、二千数年、二〇〇五、六年ごろには一千兆円を超えるだろうという財政赤字、国、地方合わせての借金の残高、我々が返さなくちゃいけないということに対する大変な不安感を彼らは持っております。返せないだろう、返せないとしたらそれは当然増税かインフレしかないだろうというようなことで、一生懸命働いたって我々に本当に身につくものがないんじゃないかというようなものが彼らの口々に出てくるわけなんです。
 そして、もう一つは高齢化。医療技術がどんどんどんどん発展していくでしょうし、これからもいろんな意味で病気が克服されていくと思います。そういう中で、職場を離れたときの残された人生の中で我々は自己実現をどうしていくか、もっと単刀直入に言えば、どうやって生活の糧を得ていくか。残された、要するに人生八十年とすれば、六十年で定年したらそれから二十年間はどうして暮らしていくかというような暮らしの面からの不安というものもあるんではないかなと。
 もう一つは、我々団塊の世代のところまではまだ比較的にあるのかもしれませんが、今の若い人たちはパーソナルゴールというものが見えていない。個々の目標というものがなかなか見つかっていない。それを見つけるために非常に苦しんでいるような状況があります。それがあるものですからどこを向いて何をやっていいかわからない、あるいは達成度がどこまで行っているのかわからないという状況が今国内にあるんではないかなと、そんなことを思いますから、教育的な面からも非常に多様な価値観の中でそれぞれのパーソナルゴールを尊重してあげるという社会的なシステムというか風潮をつくっていく必要があるんではないかな、そんなことを思っております。
 今度、経済的に国内の少子化からもたらされるものは何か。最近、不良債権の処理がいろいろあるわけなんですが、やはり少子化というのは、当然住宅問題も含めて、住宅地なんてもう要りませんから、それぞれ親が持っているところへ住めばそれで済むわけでありますから、地価の下落というのはまだまだ行くのだろうな、となると不良債権の処理がまだまだ進むんだろうな、となったらまたそれも我々が負担しなくちゃいけないのかなというような問題もありますし、当然量的なマーケットは縮小しているわけなんです。
 ただ、先ほど言いましたように、いろんな意味の価値観が多様化しておりますから、そういった意味でもサービスの多様化、経済のサービス化というのがどんどんどんどん進んでいっている。物よりもサービスでの提供をこれからますます希望する、にもかかわらずなかなか経済的な規制緩和は進んでいないということのいら立ちというのもあるんじゃないかな、そんなことを思います。
 ネットワーク社会、ITが進んでグローバル、ボーダーレス社会の中における自分が属する最小のユニットは何か。マズローの五段階欲求じゃないんですが、帰属欲求というのがあるわけなんです。自分がそこに帰属することによっての安心感が得られるユニットは何かという議論もする必要がある。国内要因の将来的な不安に対する、財政の赤字構造あるいは仕事がなくなったとき、あるいは高齢化する中でどうやって自己実現をしていくかという問題がある。あるいは、まだまだ自分が欲しいサービスが提供されていないという、経済改革がおくれているというような、そういうような不満もある。その辺もあわせて議論していく必要があるんではないかな、そんなふうに考えています。

○中原爽君 先ほど私が申し上げた意見でございますけれども、畑野委員からお話のありましたことと基本的には非常に似ているというふうに思うんですが、私は視点として人口問題の方から考えておりました。
 すなわち、日本の今後の総人口はどのぐらいであるべきかと。それを踏まえますと、総人口に対して生産人口というものの考え方はどうなるのかということであります。すなわち、女性が参画するという社会であれば、その女性が参画された、M字型がなくなった、台形になったというところで女の方の労働力というものはふえていくわけですから、それが生産人口とどうかかわりがあるのかということ。
 それと、老若男女の共同社会というものを進めるんだということになりますと高齢者の方もそれなりの生産人口として参加されるということでありますから、生産人口の幅というものをどういうふうに考えるのかということが出てまいります。でもしかし、総人口の割合からいうと、生産人口の横の幅が年齢的にふえるのかという考え方と、女性の方の労働力がふえるという意味で生産人口の層が厚くなるのかと、そういう考え方もあるわけでありますけれども、そういうことで人口問題にかかわっておりますとどうも解決がつかない、ただ理論的なことを言うだけの話になります。
 したがって、申し上げておりましたのは、男女共同参画社会という社会を本当に目指すという理論的なスローガンというものをまず掲げて、そこへ目指していくということが必要でありまして、その男女共同参画社会を日本が構築するということは、日本の国としての基本的な単位、すなわち一つの家庭、家族というものが単位になるわけでありますから、御夫婦で三人の子供を持ちたいという単位が恐らく基本であろうということになりますと、その家族五人の単位をこれから日本の国としてどう大事にかかわって育てていくかということを考えるべきだというふうに申し上げたつもりであります。
 それは、パラサイトシングルという状況でありますと、これは日本の家族構成の中でその家族が世代世代で継承していくわけでありますけれども、パラサイトシングルは継承性がないわけであります。ですから、その継承性のないものを今考えるということ、その対応をどうするかという御意見もあるわけなんですけれども、このパラサイトシングルというのは私は結果であろうと思います。少子社会と高齢社会、すなわち親の世代が長生きをする、それと同時に子供の数が減少しまして一人っ子であるという状態の中でパラサイトシングルというものが結果的に出てきたのではないかという見方もあろうかというふうに思います。
 したがって、パラサイトシングルを何とかしようということも大事でありますけれども、現在の夫婦単位というこの家庭といいますか家族といいますか、その家族が今望んでいる理想的な子供の数を確保してあげるということをまず理想として掲げて男女共同参画社会を育てていくべきじゃないか、そういうふうに理論的に考えた方がいいのではないかというふうに申し上げたつもりでございます。

○山本保君 それでは私も、うまくまとまるかどうかわからないんですが、ちょうど今週、国民福祉委員会の方でもちょっとお話ししたことなんですけれども、私は今、中原先生の言われたのは全面的に賛成でございまして、同じようなことをちょっと申し上げたんです。
 それで、例えば児童手当でも何でもいいんですが、こういう政策が子育てにちっとも役立たないんじゃないか、効果が上がっていないと。つまり、費用と効果を考えたとき何だという批判がある、もちろんあった方がいいのかもしれないけれども。
 私、もう少し考えてみると、政府の今の立場からいきましても、ある政策、特に子育て支援という政策を打ったときに、その評価を子供がふえたか減ったかということでやることはこれは飛躍がある。本来そうじゃないんだと言っているわけですから。本来は、子供を産む人、また育てる方がいかに充実度を増すかということであり、そしてそこで生まれてきている子供がいかに自分たちの能力なりすべてのものを高めるような効果が上がっているのか。まさに効果というのはそこがまず第一なのであって、その効果があったときに、付随効果として、もう一つ従属変数として今度は出生率も多分上がるであろう、こういう構造になっているわけです。
 ですから、これをもう少し明確に、特に行政評価ということから考えましたら、この二番目の、ある子育て支援策を打ったときにどういう効果が上がったのかということをきっちりもう少し指標をつくるべきではないかということを申し上げました。これは学者がやらなくちゃいけない仕事なんです。ですから、少なくともその一つに出生率が上がるということも入ってきても私はいいなと思うんですが、しかしこれだけじゃないはずなんですが、ちょっとその辺が抜けているんですね、今まで。
 ですから、そういう言い方をすると割とわかりやすくいくんじゃないか。逆な言い方をすれば、本当に出生率を上げる効果をしようと思えば、どこかの自治体がやったようですが、生まれて何百万円とかぼんと上げますよとか、逆に、中国の一人っ子政策の反対でして産まないのは罰するとか、こういうことをやれば必ず効果は上がるはずなんです、その限り。しかし、これをやっちゃいけないよというのが、まさに今の近代の民主主義国家、戦後の自由主義国家、自由主義国家はそういうことをやっちゃいかぬという反省に立っておるわけです。
 ですから、その辺のところを行政というのはきちんとすべきじゃないかなというふうに思いました。
 それからもう一つ、これは問題提起といいますか、多分行政の方からも説明があったと思うので先生方も考えられていると思うんですが、これからの施策というのは、私もまだわからないんですが、ただ単に今まであった施策が、ここが足りないからここを充実すべきであるとかいうのとは違うんじゃないか、しかも調査会としてまとめる以上は、個別政策についてもっとしっかり役所はやれと、こういう形よりは、やはり考え方を変えなくちゃいけないんじゃないかと思うんです。
 私もまだ具体的にはないんですが、前にも申し上げたことがあるんですが、例えば子供に対してどういう施策をやっているか、一番進んでいるのが保育です。ところが、保育というのは厚生省の仕事ですけれども、あれは考えてみれば女性労働者をどのように確保するかという労働政策なんです、基本的に。労働省がやっているのは有給育児休業、これはやめさせないためだというけれども、実態は何かといったら、これは親子の触れ合いを増すわけで、本来厚生省のやる仕事なんです。私はそう思う。ところが現実に、歴史的にはそれが錯綜、逆になっているんですね。
 今まで日本で行われた施策の中心はまさに女性労働者をふやすという、今度は自民党の先生に加担して言っているわけじゃないんですよ、だけれども、実態を見ますと、保育がふえるということは働いている方に、さっきもお話がありました、ゼロ歳児の働く女性はどうするんだという話があるんですけれども、しかし現実の今までの施策の重点はどこだったかと、これは女性労働をふやすためにやっていたんです。だからやっぱり各施策に非常に格差というか矛盾があるんですね。
 例えば保育でゼロ歳児の保育というと、これも考えるためのあれで言いますと、一月の基礎保育の単価というのが十五万五千円、国が定めているのは。実際に自治体によってはもっと使っています。東京のある区では四十万とか、これは言ってはいかぬことになっておるんですが、そういう実態があります。一人の赤ちゃんに対してです。このお金は、実態的に言うと大分、親が三割から四割渡しているはずなんですが、しかし、もし親が能力がなければ、応能負担ですから全部それは公費で、税金で出すという原則になっている、十五万五千円。
 片や、例えばさっきの有給育児休業というのは、今度四〇%になりますけれども、これでも大体一人当たり出すのが平均は六万円行くか行かないかだと思うんです、たったの。しかも、このお金は公費じゃなくて、雇用保険ですから事業主と労働者の折半なんです。国は出していないんです、全然そのお金は。全くこれは矛盾というか格差があるわけです。
 もう一つ、例えばベビーシッターというのがありまして、もっと自由な女性の、労働じゃない、こうなるとこれは社会的な参加活動みたいなものを助けましょうという意味で例えばベビーシッターがある。ところが、ベビーシッターというのは、たしか私の記憶では一時間当たり五百円ぐらいしか補償しませんし、使われているのも全体で、この前聞いたら十万回と言っていましたから何人とはっきりしませんが、僕は全国で一千人も行かないんじゃないかなと思っています。このもとの財源は何かというと、これはおもしろいことに児童手当のお金なんです。だから、もとは役所も出していますけれども、理念からいけばこれは事業主負担です。事業主が自分のところに来ている女の人のために金を出すという考え方がこのベビーシッターの制度の財源なんですよ。
 ですから、今のようなことを考えますと、今あるここが抜けているからではこれをやれという問題じゃなくなってきているんじゃないかと思います。
 ちょっと余分なことで、これを言うと党でしかられるかもしれません。私自身は、例えばさっきの幼児の病気に対する乳幼児医療についてももっとここは考えなくちゃいかぬなと思っているんです。ただ単に、ないからだめだと言うんじゃない。
 厚生省の説明があったと思いますけれども、厚生省の今の説明は、難病だとかいろんな大変なお金のかかる人がいる、数は少ないけれども、この方たちをまず重点的に救わなくちゃいかぬのだ、お金をそちらへ出すんだと。風邪だ何だといって親が連れていくものに全部公費負担したらどうなるかというともう際限なく医療費がふえるだけだ、しかもこれはお金のある方もない方もみんな一緒であったのでは何も政策効果としては意味ないでしょう、かといってそこで所得制限をつけるわけにもいかないでしょうということでそちらは動かないんだと、こう言っている。ですから、これはこちらにも一理があるわけです。ただ、無料といっても無料じゃないんで、実は無料じゃなくて税金かみんなの負担なんです。
 ですから、ここまで踏み込んできちんとこれから政策を考えていくときじゃないか。ちょうど労働省と厚生省も今度一月に一緒になる。今言った政策は基本的に一元化されるわけですから、大変な、全く違う方式でやってきた制度をここでもう一度組み直すときでありますから、ぜひこの辺に関しては何かいい目標なり理念を出したいなというような気がしております。
 ちょっとまとまらなくて申しわけございません。

○会長(久保亘君) ほかにまだ御発言のない方は。

○西山登紀子君 ちょっと事実だけ。済みません、私、乳幼児医療の無料化で質問もしてきたので。
 政府の答弁はこうだったんです。難病とかそういう子供に対する手当てはしている、病気の子供にだけ支援をすると差別になるんだという、こういう答弁だったので、これはちょっとなというふうに私はずっと思い続けてきましたので。そういう答弁がずっと変わらないんですよね。
 ただ、小泉厚生大臣だけは、地方自治体がおやりになっているいい制度なんだから、将来は国が全くやらないということではなく検討の課題ではあるでしょうというような答弁をされましたけれども、その後の政府の答弁は、やっぱり差別になるからだめなんだ、それか財源がないというようなことの繰り返しです。財源の問題でいえば、地方自治体だって大変な中でやっているわけですから、そこで国が手を出さないということにはならないというふうに思います。
 ちょっと事実だけお話をさせていただきました。

○山本保君 私も一言だけちょっと。
 先生の言われたように多分答えたなと思いますが、古い先生はおわかりのように、役所の答弁というのはわざとちょっとすれたような、ずれたようなことを言います。でも、今私が申し上げたようなことを意図して答えているはずなんです。
 ただ、私もだめだと言うわけじゃないです。今言ったように保険で実際持っていますから、七割なり八割なりを持っていますから、多分残りの二割か三割を自治体が持っているんでしょうね。ですから、こういう子供の数が減っているときに、それを例えば半分国が見て半分自治体という制度はいいんじゃないかというのは、私もいいんじゃないかなとは思うんです。
 ただ、そういう意図で今までは議論されていなかったと思うんですよ。無料が何でもいいんだという形でやっているんです。このときに、いわゆるモラルハザードにならないような何かちゃんとしたあれをつけて行うというような議論をもう少しすれば私もいいのかなと。ただ、今までの議論はそうじゃなくて、かわいそうなんだから全部金を出せばいいんだと。
 といっても、無料だといっても、実はそれは全部だれかが負担しているので、それが今のままだと一番喜ぶのは小児科の先生だけだと。これは冗談ですけれども、そういうことになりかねないわけで、この辺を含めて議論した方がいいんじゃないかなと思います。

○会長(久保亘君) 以上で委員相互間の意見交換を終了いたします。
 委員各位には貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。本日、お述べいただきました御意見は、後日作成いたします中間報告書案に反映させていきたいと存じます。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後二時五十三分散会