154-衆-青少年問題に関する特別…-3号 平成14年04月11日

平成十四年四月十一日(木曜日)
    午後二時十八分開議
 出席委員
   委員長 青山 二三君
   理事 高橋 一郎君 理事 土屋 品子君
   理事 林田  彪君 理事 森田 健作君
   理事 肥田美代子君 理事 山口  壯君
   理事 丸谷 佳織君 理事 黄川田 徹君
      小野 晋也君    小渕 優子君
      大野 松茂君    岡下 信子君
      阪上 善秀君    鈴木 俊一君
      谷川 和穗君    保利 耕輔君
      増原 義剛君    石毛えい子君
      鍵田 節哉君    今田 保典君
      武正 公一君    水島 広子君
      山谷えり子君    石井 郁子君
      原  陽子君
    …………………………………
   国務大臣
   (内閣官房長官)     福田 康夫君
   内閣府副大臣       松下 忠洋君
   法務副大臣        横内 正明君
   厚生労働副大臣      狩野  安君
   内閣府大臣政務官     奥山 茂彦君
   文部科学大臣政務官    池坊 保子君
   政府参考人
   (内閣府政策統括官)   江崎 芳雄君
   政府参考人
   (内閣府男女共同参画局長
   )            坂東眞理子君
   政府参考人
   (法務省民事局長)    房村 精一君
   政府参考人
   (外務省総合外交政策局国
   際社会協力部長)     高橋 恒一君
   政府参考人
   (財務省大臣官房審議官) 飯島 健司君
   政府参考人
   (文部科学省大臣官房審議
   官)           玉井日出夫君
   政府参考人
   (文部科学省生涯学習政策
   局長)          近藤 信司君
   政府参考人
   (文部科学省初等中等教育
   局長)          矢野 重典君
   政府参考人
   (文部科学省スポーツ・青
   少年局長)        遠藤純一郎君
   政府参考人
   (厚生労働省健康局長)  下田 智久君
   政府参考人
   (厚生労働省雇用均等・児
   童家庭局長)       岩田喜美枝君
   政府参考人
   (厚生労働省社会・援護局
   長)           真野  章君
   政府参考人
   (厚生労働省社会・援護局
   障害保健福祉部長)    高原 亮治君
   衆議院調査局青少年問題に
   関する特別調査室長    柴田 寛治君
    ―――――――――――――
委員の異動
四月十一日
 辞任         補欠選任
  鍵田 節哉君     今田 保典君
同日
 辞任         補欠選任
  今田 保典君     鍵田 節哉君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 政府参考人出頭要求に関する件
 青少年問題に関する件

     ――――◇―――――

○青山委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。山谷えり子さん。

○山谷委員 民主党の山谷えり子でございます。
 きょうは、ジェンダー教育、そして青少年健全育成の観点で御質問させていただきたいと思います。
 一九九九年施行されました男女共同参画社会基本法、男女が、社会の対等な構成員として、みずからの意思によりさまざまな分野で活動に参画し、政治的、経済的、社会的、文化的利益を享受することができる法律ができたことを喜ぶ者の一人でございます。ジェンダー教育も進んできております。しかしながら、違和感を覚えるところもございます。
 その点についてなんですが、例えば、文科省の委嘱事業で、子育て支援のリーダーたちに主に配られているという「未来を育てる基本のき」というような小冊子の中では、「押しつけるような子育てをしていませんか?」ということで、女の子だったらおひな祭りのおひな様、男の子だったらこいのぼりと武者人形、女の子は言葉遣いは丁寧に、男の子はガッツがあって責任感のある子にとか、そのようなことを押しつけてはいけないというようにも読み取れるような構成になっているような書き方があるんです。
 今、教育の現場を見ますと、女の子が乱暴な言葉遣いをしたり、運動会で男女混合で騎馬戦とか駆けっこなんかをする。女の子を守ろうとか、女の子が弱いということが余りよくわかっていない男の子がいて、殴る、けるの物すごい乱暴を男の子が女の子に働くというような現状を見ると、これはいささかいかがなものだろうかというふうな気も私はいたしております。制服も男女同じにしていこうかとか、それから、靴の裏にげんこつをつけてみよう、女の子はスカートをはいているから足が余り開かないね、どういうことか考えてみようって、何をどう考えるのか、私にはちょっと解答が見つからないようなゲームの勧めがあったりということがございます。
 例えば、今回検定が出ました「現代社会」の教科書なんですけれども、ジェンダーについて、「日本では伝統的に、日本女性を「大和撫子」、「たおやめ」といったり、日本男児を「ますらお」とよんだりしている。こうした表現には、そこに込められている文化的な意味がある。」云々とありまして、「歴史的・文化的・社会的につくられた性の違いによる認識である。これをジェンダーという。」コラムで、「ジェンダーに基づいた偏見を取り払い、真の男女平等社会(ジェンダー・フリー)の実現が求められている。」何か、大和撫子とか、たおやめとか、ますらおという言葉はよくないよというふうにも読めるような構成になっております。
 文化芸術振興基本法、さきの国会で成立いたしましたけれども、そのときの議論の中でも、歌舞伎とか落語に廓話があるのはけしからぬとか、夫婦茶碗はおかしいというような議論がございまして、私は、経済的あるいは社会慣習の面で障害がある部分は見直していく、あるいは、性による差別というのはあってはならないことだと思いますけれども、驚くほど一方的に、多様性といいながら、何かステレオタイプを押しつけて画一的な考え方の押しつけをつくっているようなことがあるような印象を受けるのでございます。
 このようなジェンダーフリー教育の現状を福田官房長官は御存じでしょうか。御存じだとすれば、どのような御感想をお持ちでございましょうか。

○福田国務大臣 私は、男女共同参画担当大臣、男女共同参画社会をつくらなきゃいかぬ、そういう責任のある立場にあるんですけれども、御指摘の問題もありますけれども、要するに、社会的活動においてジェンダーの差別があってはいけないということはそのとおりだと思いますね。ですから、今、公務員も女性をふやそうというようなことで努力しておりますし、また、政府関係の審議会委員なんかも三〇%目標、三〇%は平成十七年に達成しようということで、今二十何%まで行きましたけれども、そういう努力はしているわけであります。
 それで、最初に御指摘になったのは、これをつくっているのは文科省ですか、要するに、育てるときの段階からの話とかいうことになりますと、社会的活動をしているということではないんですが、そのころから、将来のことを考えて、余りそういうことを意識しないようにということはいいんですけれども、小さいころの教育なんかのことを考えますと、男と女というのは、社会生活したって男女は違うんですね。違うんです。これはもう歴然たる違いがあるので、それぞれの役割というのは、それはそれで持っているわけでございまして、その部分を無視するわけにはいかないというように私は思っております。ですから、そういうことをわきまえた上で子供の教育をしなければいけない。
 しかし、社会生活で影響を与えないような、幼児からの教育という面についてどういうものがあるかということになりますけれども、実は、御指摘があったので、この「未来を育てる基本のき」というものをちょっとさっき見てきたんだけれども、要するに、将来のために、基本を形成する幼児期からこういうふうなことでやりなさい、男女を意識しないようにというようなことでもって、いろいろな例示もございました。
 例示を見てみましたら、正直言って、私も余りこれは賛成しません。役所がつくってきのかもしれませんけれども、賛成しません。やはり、男は男であり、女は女であるというものはあるんだろうと思う。また、それが人間社会だと思うし、人間そのものだと思いますね。将来、人間社会が存続するための大事な秩序を維持していくための工夫だろうというふうに私は思いますので、そんなことも考えながら、複雑な思いもしながら今この問題に取り組んでいる、こういうことであります。

○山谷委員 ありがとうございました。
 平成九年に、東京女性財団がチェックリストというようなものをつくりまして、それもやはり、今のような、本当に分けてしまうんですね。文化的なものとか歴史的なものとか、さまざまなものをもう少し複眼的に教えていくというまなざしが必要だというふうに私は考えているんですが、その平成九年の女性財団のチェックリストでは、イエス、ノーで答えられていて、冬眠型とか生きる化石型とか、そういうふうにラベリングされてしまうような分け方をしていく。そのときは、たしかマスコミで取り上げられて、こういうようなステレオタイプな押しつけの画一的な、ジェンダーフリーという名前をかりてのものはいかがなものかという声が少し上がったんですが、しかしながら、その後の総括が多分なされなかったと思うんです。いまだにこういうものが出ている。そして、教科書にもこのような形で書かれている。
 あのときの総括はなさったのか、そしてその後、どういうふうにしてここまで進んできたのかをお教えいただければ幸いでございます。

○坂東政府参考人 お答えいたします。
 実は、その件に関しましては、御質問があるということを知らなかったものですから、まだ十分に情報を集めておりませんけれども、東京都の外郭団体で行われたものですので、私どもが直接どう総括をしたかということについては恐らく何もお答えできないと思いますが、そういったことも含めまして、ジェンダー、男らしさ、女らしさも含めて、どういうことなんだろうかということは、私どもの男女共同参画会議の専門調査会の方の基本問題を扱っていただいているところで少し議論をしていただこうかと思っております。
 一方的な女らしさ、男らしさで個性を抑圧するのは悪いのですけれども、例えば優しさですとか勇気ですとか責任感ですとかいうのはどちらにも必要なことですし、そういったようなことも含めて十分議論をしていただくこととしております。

○山谷委員 先日、福田官房長官の所信の中で、この委員会で、「二十一世紀を迎え、少子化、都市化、情報化等の進展や価値観の多様化など、我が国社会は大きな変革の時期にございます。」私も同様に思っております。
 しかしながら、価値観の多様化というのがまた問題になる部分もありまして、例えば、内閣府が青少年を対象とする調査を去年の十一月に行っているんですけれども、「男性も介護を積極的に行うべきだ」とか「困っている人を見たら、頼まれなくても助けてあげるべきだ」とか、いろいろあるんですが、「結婚して子どもを育てることだけが幸せな人生ではない」とか「結婚しても、女性は夫の姓に改姓する必要はない」とか「自分の考えが違うからといって、その人が幸せになろうとするのを妨げるのは良くない」とか「どうしてもやりたいことがあるのに、無理にがまんしてやらないのは間違いだ」、ちょっとどう答えていいのかわからないようなクエスチョンが並ぶんです。
 今の教育を見ておりますと、自己の権利、決定権を大切なことと教えても、自律、セルフディシプリンとか献身という、人としての生きる形、愛の形というのを教えない、教えにくいことでございますから、教えない傾向にございます。
 私、民間におりましたときに、財団法人日本青少年研究所の理事をしておりました。本人の自由でしていいことというのを聞きますと、例えば、売春など性を売り物にしてもいいという答え、イエスという答えをする子が二五%いるんですね。総務庁の覚せい剤に関する調査では、覚せい剤は法律違反だと知っている子は九割、しかしながら、使用は個人の自由であるというふうに答える男子高校生が二七%いる。これはもうほとんど考えられないような自由のはき違えですね。それから、売春など性を売り物にするのも、友達がしているんだったら、それはその子の自由だから、おかしいと言うのは僣越なんじゃないかとか、やはり非常にゆがめられている。多様な価値観というもとに、そのような現状がございます。
 そのようなことについて、やはり普遍的な価値を教えていくというのは非常に教育の背骨でございますし、自由というのは、人間の成熟あるいは神というか超越せる存在との緊張関係の中で、そういう縦軸があってこそだというふうに思いますけれども、青少年健全育成のメニュー、たくさんあるんですが、いわゆる多様な価値、価値、価値、価値という形のメニューで、本当に背骨になるような普遍的なものをきちんと教えたり、それをはぐくむようなメニューというのは非常に少ないということを、私も教育委員をやったりPTAの会長をやったりしながら感じております。
 その辺、現実の社会の実態分析をして健全育成をやっていらっしゃるのか、それから、決定権、権利ということは教えても義務と普遍性を教えないとか、その辺の現状というのは、官房長官、どういうふうに把握していらっしゃいますでしょうか。

○福田国務大臣 価値観の多様化というのが、これは誤解がありますね。何でもやってもいいということじゃないんだろうと思いますね。やはり、人間として一人一人がやるべきこと、やっていいこと、やってはいけないことというのはあるんだろうと思いますね。また、伝統的な考え方というのは、これはやはり、人間社会を維持するためにも、また、国家を維持するためにも、大変大事なことだというように思っておりますので、そのことはこれからも大事にしていかなきゃいけないというように思います。
 男女関係にしても、いろいろな変化はありますけれども、これも、許容される範囲というのはおのずからあるんだろうというように思います。何でもいいということでは、その部分においても、ないんだろうというように私は思います。
 しかし、時代が変わりますと、その辺、変化することはあり得るかと思いますけれども、基本は基本できちんと守っていかなければいけない、そのように思っております。

○山谷委員 いろいろ教育の現場を取材したり、また、自分の子供を教育の現場で、いろいろな形で、保護者会とかに行って驚いたことがあるんですが、小学生の夏休みの前のお知らせという中に、早寝早起きしましょうとか、暴飲暴食やめましょうとか、宿題を早目に片づけましょうという中に、薬に手を出すのはやめましょうということが書いてあったんです。
 私は非常にびっくりいたしまして、先生に、小学生の夏休みの前のお知らせになぜこのようなことを書くのでしょうと言いましたらば、そのような薬の売買、あるいは中学生、高校生のお兄ちゃんがもっと上の人から小遣い稼ぎに言われて、それをもっと弱い小学生に売りつけるとか、あるいは最初はただでジュースに混ぜて飲ませてみたり、そのようなことが近所であるということでこのような一行を書かせていただきましたと言われまして、私は非常にショックを受けました。それがもう数年前のことでございます。
 例えば、私なんかは、「身体髪膚これを父母に受く。敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり。」とか、あるいは聖書の中では、あなた方の肉体は神の宿る神殿ですなんというふうに教わるわけですね。そういうきちんとした普遍性を教われば、自分の肉体をそのように傷つけるということが自由であるわけがないという、やはりその辺にいくんだろうと思うんですが、お知らせでは、薬に手を出すのはやめましょうと書いても、本当に普遍を教えていないというように感じておりまして、なかなか教育の成果が上がってこないのではないかというふうに思っております。
 四月九日に公表になりました教科書なんですけれども、やはりこの普遍と多様性という意味で、幾つかの疑問点を感じております。もちろん、検定に合格した教科書だということは踏まえているわけですけれども、あるいは私のような違和感を感じている人もあるのかもしれません。
 例えば家族形態、多様化、シングルマザーとか事実婚、ペットも家族など、多様な家族像が取り上げられております。
 戦後間もないころ、家族制度というのは民主化を妨げるものとして、家族より個人が尊重されなければならないという思いはあったと思います。また、現行憲法には、家庭、家族という言葉がない。教育基本法第七条、「社会教育」の項にも、「家庭教育」という言葉はありますけれども、社会の構成単位としての家庭の意義とか重さを述べているわけではなくて、立法と家族の現状あるいはその倫理のある種の体系というものが非常にばらばらになっている中でこのような記述も生まれてきたのかなというような感じが私はするんですけれども、命をはぐくむ共同体というような視点が欠けているのではないかというようなことを思っております。
 結婚するもしないも自由、子供を産むも産まないも自由というようなことは教えても、命をはぐくむ共同体だというような普遍的なものは抜け落ちてしまっている。アメリカなんかは、中高校生に結婚の意味を教える結婚講座なんというのを州によっては義務づけているというところもあって、夫婦げんかしたとき、どうやって仲直りしたらいいかとか、そんなことを教えているわけですね。
 ある教科書では、日本は欧米先進国と比較しても離婚率は余り高くない、では日本の夫婦関係は良好かといえばそうとも言えない、離婚後の経済事情を考えれば結婚生活を続けざるを得ないケースもあるからであるとか、いろいろ書いてあるわけです。
 私、中教審の少子化問題を考える委員をしておりましたときに、資料として渡されたのが、非嫡出子の割合が、日本はたしか一、二%、スウェーデンとかフランスは五〇%前後ということで、日本は非常にデプレッシブな社会だから非嫡出が少ないんだ、これをもっと自由化というか多様化しなければいけないというような雰囲気の資料の提出なんですね。
 私は、それは非常に違和感を覚えました。もちろん、非嫡出子とか離婚された方を応援していくということは大切だというふうに思っておりますけれども、先回りして、多様化させよう、ばらばらにさせようという、そのような違和感を感じられた方も、この家庭科の教科書を見て、いらっしゃるのではないかというふうに思います。
 夫婦別姓に対しても、「現実には大半は妻が自分の姓を改めている。このことが、社会で活動する女性に不利益をもたらしているということから、一九九六年にまとめられた民法改正案で、選択的夫婦別姓の規定が設けられた。」というような形で、何か夫婦別姓を暗に推奨しているような書き方が今回の検定教科書の中には見られておりますし、それから、「事実婚」というので詳しい説明があって、「婚姻届を出すという法律上の手続きはしていないが、事実上夫婦として生活している関係」であるというような説明があったり、「法律から描く家族のイメージ」というページでは、「明治民法」「現行民法」そして「今後の姿は?」という形で、あたかも夫婦別姓を進めた方がより進歩的だというようなページが既に設けられたりしているわけでございます。
 これは、きのう、自民党の法務部会でももめたようでございますけれども、多様な生き方、男女平等、共同参画の視点、それから仕事をしている女性が便利とか不便とか、不便を感じているなら、そういう弱者を大切にしたいという視点はあると思います。私も、通称使用をして働いておりますので、そのことは非常によくわかっているんですけれども、ただ、その視点を否定しているわけではないんですが、命をはぐくむ生命共同体、あるいは継承の重要さ、それから、宗教的なある種の情操心の中で結婚を考えるという視点もまたあるというふうに思うんですね。ですから、これは、どちらがどうという、選択だからいいじゃないかという問題ではなくて、日本の家族とか文化の枠組みに関する問題で、教科書の書き方は、検定に合格はしているのですが、ちょっといかがなものかなというふうに私は感じております。
 法律婚と事実婚の垣根をさらに低くしていって、結婚と家族の意味を外側からも内側からも不明にしていくというようなことが進むと、今、必ず結婚しなければいけないと考える日本の若者は二〇%、アメリカは七九%いるんですね。これも日本青少年研究所なんですが、非常にいびつな形で日本の子供たちは結婚を考えている。
 そうすると、今、事実婚はさまざまな権利が既にあるわけです。同居、扶養の義務、貞操の義務、社会保障の権利、財産分与権、慰謝料請求権、いろいろある。そうすると、事実婚した方が、月に四万二千三百七十円の児童扶養手当をもらえたら、そっちの方が得かななんて考える若者も、もしかしたらいるかもしれません、それはどうかわかりませんが。
 とにかく、いろいろ教え方を考える場合には、現代の若者気質と、それから、どういうふうに教育の場でそれが教えられているかというような分析をしないと、意図しない方向に流れていくような思いを今私は抱いております。
 この問題は、復古的な反対論とも家族の解体というような極端な個人主義とも距離を置きつつ、家族や子供にとって最も望ましい制度は何か、日本最大の温かいセーフティーネットの問題でございますので慎重に考える必要があると思うのですが、この教科書、「誤解するおそれのある表現はないこと」という検定基準にかなうのかというような意見もあるかもしれません。
 私は、今回、家庭科の教科書だけではなくて、国語とか音楽とか、いろいろな問題点があるように思いまして、ぜひすべての教科書を地元の図書館に置いていただきたいというふうに考えているんです。そして、国民各層、多様な人の、子供たちがどういう形で教えられているのか、それから、現代の日本社会において普遍性と多様性のバランスはどうあったらいいのだろうか、いろいろな声を集めながら考えていくということが子供たちの健全育成につながっていくというふうに考えておりますが、福田官房長官、いかがでございましょうか。

○玉井政府参考人 教科書についてのさまざまな御指摘をいただきました。
 御案内のとおり、教科用図書調査審議会において、専門家によって厳正に検定が行われて、いずれも合格したものでございまして、検定基準に照らして、問題のところについてはそれぞれ意見をつけて、そして、修正がなされたものでございます。
 ただ、先ほど来お話のございます家族観等につきましては、それぞれいろいろな考え方があることもこれまた事実でございますので、そこで、私どもの検定の基本的なスタンスというのは、学習指導要領では、家族については、夫婦関係だとか親子関係、居住関係、生計などの家族の要素についてきちんと記述するということがございますので、それに照らして、それが不足している場合には、当然、修正を求めるわけでございますが、その上で、なお、多様な、いろいろな家族観があるということの記述については、これは許容されるということでございます。
 いろいろ御指摘になったわけでございますけれども、例えば家族についても、まず基本的には、ある例で申しますと、「家族とは、長期間にわたって経済的なつながりを持ち、お互いに愛情を持って支え合う関係であり、生活文化を継承していくかけがえのない存在である。」と書いた上で、多様な、今いろいろなものが生じているふうに書かれておりますし、また、結婚についても、「相手を互いに選ぶことから始まる関係であり、家庭生活全般にわたり夫と妻が協力して生活をつくる努力をし、認め合い、支え合うことが、自分らしさを尊重し、夫婦関係を発展させていくことにつながる。」と書いた上で、またいろいろ書かれているということでございます。
 同時に、先生御指摘になった、いわば普遍的な価値、まさに道徳ではないか、こう思っております。
 私どもとしても、道徳教育の充実は非常に重要だと思っております。思いやりの心だとか、あるいは美しいものを美しく感じる心、御指摘になった自由と責任、権利と義務、こういったところがきちんと子供たちに身につくようにということで、つい先般、「心のノート」を作成し、すべての小学生、中学生にそれを渡し、子供たちがいろいろな価値について気づく、そういうことを進めてまいりたい、かように思っております。
 それから、教科書につきましては、できるだけ多くの方々がごらんいただいて、さまざまな意見をいただくことは大変重要だ、かように思っておりますので、教科書についての意見をいただく窓口を文部科学省の教科書課というところに設けましたし、今後、いろいろな形で教科書についてさまざまごらんいただけるような方策についてはさらに検討させていただきたい、かように考えております。

○山谷委員 それほどお金はかからないと思いますので、ぜひ各地元の図書館に置く方向でお考えいただきたいというふうに思っております。
 青少年育成は、社会の責務であり、大人の責務でございます。青少年健全育成に悪影響を及ぼす社会風潮、社会環境の見直し、さまざまな活動の連携とパワーアップが必要だというふうに思っておりますけれども、青少年育成推進要綱、平成十三年十月十九日、内閣府から関係業界等に対して要請文書を出されておりますけれども、大した効果が上がっているというふうにも思えません。
 今、基本法なるものが二十二本できているわけですね。水産基本法、文化芸術振興基本法、高齢社会対策基本法、科学技術基本法、環境基本法、障害者基本法。これだけ青少年の問題が深刻になってきているときに、青少年健全育成基本法なるものがあってもいいのではないか。有害情報への対応、有害環境対策のための法整備、青少年健全育成のための協力体制づくり、青少年自身が力を発揮する場づくり、総合的政策の推進、国と地方の責務のあり方、家庭の価値の基本的理念の確立、こういうものが基本法として、枠組みとしてできれば、自治体も、条例づくり、行動計画、推進事業、さまざまな展開ができるというふうに考えておりますが、福田官房長官、そのような考え方に対して御所見をいただければ幸いでございます。

○福田国務大臣 御指摘のとおり、青少年の健全育成を含めて、青少年問題というのは幅広く、いろいろな省庁が関係していろいろな施策を行っている、こういうことでございます。
 今般、中央省庁の再編によりまして、青少年の健全育成に関する施策が内閣の重要課題の一つと、そのような背景を持って位置づけられたところでございまして、各省、緊密な連携を持ちながら、必要な企画立案、総合調整を行うということになって、この仕事は内閣府が責任を持って行うということになりました。
 そのために、内閣府として、ただいま御指摘のありましたことでございますけれども、青少年育成推進会議というもの、これは関係省庁の局長クラスが集まってやる会議でございますけれども、そこでもって、基本方針となります青少年育成推進要綱、この策定などを初めとして、いろいろな政策を総合的に推進しよう、そして、今後は、中長期を見据えた骨太のビジョンを示す青少年プラン、これはまだ仮称でございますけれども、この策定を進めるというようなことも考えておるわけでございまして、力を入れてやらなければいけない。そのために、また国会の方もこの委員会を立ち上げていただいたということでございますので、張り切ってやらせていただきたいと思います。

○山谷委員 どうもありがとうございました。
 推進会議というのは、各省の局長クラスたち、開かれているのがたしか二年に一回くらいなんですね。黒磯でナイフで女性教師が刺されたというナイフ事件が起きたときに、町村文部大臣でございました。各青少年関係の審議会の会長たちが集まって、本当にしょっちゅう官邸で会議を開いていたということがございました、私も参加させていただいていたのですけれども。今の状況では、そのぐらい回数もふやしてきちんとやる、それから、基本法制定まで視野に入れながらやっていくというようなパワーアップを考えて、ぜひお進めいただきたいというふうに思います。
 どうもありがとうございました。

○青山委員長 次に、水島広子さん。