151-参-国民生活・経済に関する…-4号 平成13年02月28日

平成十三年二月二十八日(水曜日)
   午後一時一分開会
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   委員の異動
 二月二十三日
    辞任         補欠選任
     小川 敏夫君     竹村 泰子君
 二月二十七日
    辞任         補欠選任
     吉村剛太郎君     南野知惠子君
     戸田 邦司君     高橋 令則君
 二月二十八日
    辞任         補欠選任
     南野知惠子君     山内 俊夫君
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  出席者は左のとおり。
    会 長         久保  亘君
    理 事
                久世 公堯君
                内藤 正光君
                但馬 久美君
                畑野 君枝君
               日下部禧代子君
    委 員
                加納 時男君
                岸  宏一君
                久野 恒一君
                日出 英輔君
                山内 俊夫君
                勝木 健司君
                佐藤 泰介君
                竹村 泰子君
                藁科 滿治君
                松 あきら君
                山本  保君
                西山登紀子君
                大渕 絹子君
                松岡滿壽男君
                高橋 令則君
   事務局側
       第二特別調査室
       長        白石 勝美君
   参考人
       日本大学経済学
       部教授・同人口
       研究所次長    小川 直宏君
       社団法人日本経
       済研究センター
       理事長
       上智大学国際関
       係研究所教授   八代 尚宏君
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  本日の会議に付した案件
○国民生活・経済に関する調査
 (「少子化への対応と生涯能力発揮社会の形成
 に関する件」のうち、少子化問題の政策的対応
 の在り方について)

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○会長(久保亘君) ただいまから国民生活・経済に関する調査会を開会いたします。
 まず、委員の異動について御報告いたします。
 去る二月二十三日、小川敏夫君が委員を辞任され、その補欠として竹村泰子君が選任されました。
 また、昨二十七日、戸田邦司君及び吉村剛太郎君が委員を辞任され、その補欠として高橋令則君及び南野知惠子君が選任されました。
 さらに、本日、南野知惠子君が委員を辞任され、その補欠として山内俊夫君が選任されました。
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○会長(久保亘君) 国民生活・経済に関する調査を議題とし、少子化への対応と生涯能力発揮社会の形成に関する件のうち、少子化問題の政策的対応の在り方について参考人から意見を聴取いたします。
 本日は、お手元に配付の参考人名簿のとおり、日本大学経済学部教授・同人口研究所次長小川直宏君及び社団法人日本経済研究センター理事長・上智大学国際関係研究所教授八代尚宏君に御出席いただき、御意見を承ることといたします。
 この際、小川参考人及び八代参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
 両参考人におかれましては、御多忙のところ本調査会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。
 本日は、本調査会が現在調査を進めております少子化への対応と生涯能力発揮社会の形成に関する件のうち、少子化問題の政策的対応の在り方について忌憚のない御意見をお聞かせいただき、調査の参考にさせていただきたいと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。
 議事の進め方でございますが、まず小川参考人、八代参考人の順にお一人三十分程度で御意見をお述べいただきました後、二時間程度各委員からの質疑にお答えいただく方法で進めてまいりたいと存じます。
 質疑につきましては、あらかじめ質疑者を定めず、自由に質疑を行っていただきたいと存じます。質疑を希望される方は、挙手の上、会長の指名を待って質疑を行うようお願いいたします。
 また、時間が限られておりますので、質疑、答弁とも簡潔に行っていただくようよろしくお願いいたします。
 なお、参考人からの意見陳述、各委員からの質疑及びこれに対する答弁とも着席のままで結構でございます。
 それでは、小川参考人からお願いいたします。

○参考人(小川直宏君) 小川でございます。よろしくお願いいたします。
 このような権威のある調査会にお招きいただき、自分の意見を述べさせてもらえる機会を与えていただきまして大変光栄に思っております。
 お時間が限られておりますので、早速本題に参りますけれども、資料が配られてお手元にあると思いますけれども、大体の概略は一枚のレジュメになっておりますけれども、そのほかに参考資料がいろいろカラープリントでありまして、たくさんついています。レジュメをつくりましたときには非常に幅を広くとりましたのでちょっとたくさんつくり過ぎましたので、話が後に質疑応答のときに展開すればそちらにも参りますけれども、私はこのレジュメの前半だけを使ってお話を進めてみたいというふうに考えております。
 資料のカラープリントの方がたくさんページがあるんですけれども、話をしやすくするためにパネルという言葉を使いまして、パネルの一、パネルの二、パネルの三というふうにグラフのところにずっと番号がくっついておりますので、それを使いながら、パネルという言葉を使ってお話を進めていきたいと思います。
 私のきょうの話の第一のポイントは、パネルの一にございますように、合計特殊出生率というのが下がってきて、これが二段階で下がってきております。一九四七年から五七年の十年間で日本の合計特殊出生率は四・五から二へと下がり、人類史上初めて十年間で出生率が半減したわけであります。これは、第一次出生転換と呼ぶ人がいます。第二次出生転換というのは、その後ずっと安定していたんですけれども、オイルショック以後また下がり始めたので、これを第二次出生転換というふうに呼ぶ人がおります。ヨーロッパでも同じような状況が起こっておりますけれども、この第二次出生転換が最近ずっととまらなくなって、どんどん下がり続けていって、一九九九年、一・三四という合計特殊出生率になってきたことは御存じのとおりであります。
 私が何でこんなグラフを出したかというと、私の言いたいのは理想子供数との対比であります。理想子供数がグリーンで出ていますけれども、一九七〇年代、過去三十年間ほとんど理想子供数は変わっておりません。これは女性が子供を何人持ちたいかという全国調査のデータでございます。二・五人から二・七人、ほとんど変わっておりません。
 私が申し上げたいのは、この調査会の委員の先生方に実際の行動、これは合計特殊出生率ですね、実際の出生率はどんどん落ち続けますけれども、理想とする子供数は変わっていない、ここであります。これが規範と行動というふうに分けることもできますけれども、規範が変わらず行動だけが変わっているこの現状、ここに、今データ的に見てみますと、九〇年代をとってみますと、全国の五十歳未満の有配偶、結婚しているお母さん、お母さんは結婚していますが、お母さんの二七%前後、これはほとんど変わっていないんですけれども、二七%前後の人が理想ほど持っていないんです。二五から三〇の間なんですけれども、この間の人たちが産めるだけ、希望するだけ子供を産めば、出生率は別に日本は問題なくなるぐらいまで回復する可能性は十分にあるわけであります。
 ここに政策的な対応が必要であるという一つのジャスティフィケーションにつながるんではないかというふうに思っているわけでありまして、私は、これがどんどんギャップが広がる限り政策的な対応は必要だと考えておりますけれども、問題は、この後これが続くわけがないんです、理論的には。行動と規範が物すごく長期にわたって乖離し続けることは考えられなくて、どちらかが必ず動きます。どちらかがどちらかに寄っていく、または両方が寄ってくるわけでありまして、これが乖離しなくなって、規範と行動が一致したときには政策対応が非常に難しくなってくる。
 ですから、私はここで、きょうの話のポイントの第一は、今後、政策を立てられる皆さんとしては、ぜひ理想子供数がどう変わるかに注目していただきたい。そして、最近の動向では未婚女性の間での理想子供数がちょこっと下がり始めました。これが一つ危険かもしれません。この辺の動向が将来、対策を立てる上で非常に重要になるというふうに思っております。
 その次に、パネルの二がありますけれども、これは戦後の子供を今までの産む確率を結婚確率から子供を持つ確率、例えば結婚、それから第一子、第二子、第三子を持つ確率のグラフでございますけれども、明らかにこのパネルの二を見てみますと、黒い線、これはオイルショックですけれども、オイルショック前とオイルショック後ではグラフの傾向が全く違っております。これは人口動態統計と国勢調査からやった計算でございますけれども、これを細かく人口学的に説明していると大変ですので、パネルの三、四、五というのにちょっとわかりやすくこれを分析してみました。
 すると、こんなふうになるんです。パネルの三を見ていただきますと、だいだい色の縦に立っているのがありますけれども、これは陸上の百十メートルハードルを考えていただきたくて、その黄色いものが一つハードルと考えてください。それで、左から右へと女の人が用意ドンでスタートしてゴールし終わる、この状況を考えていただきたいんです。これがちょうど出産にたとえて考えてまいりますと、女の人が、下にBツーMというのがありますけれども、これは生まれてから結婚する確率なんです。それから、Mから一というのは結婚から第一子を持つ確率、それから一―二というのは一子から二子を持つ確率、こうなっております。
 これを見てまいりますと、女の人が用意ドンでスタートするとオイルショックまではどこが高いハードルかというと、二子から三子、それから三子、四子目、これが大変でなかなか持てなかった。要するに、ほとんどオイルショックまでは子供は二人というのがだんだんだんだん形づけられる情勢にあったということになります。
 このときに経済的な原因が相当出てまいりまして、私の試算では恐らくGNP、その当時ですけれども、大体六%に相当するぐらいの額が毎年毎年中絶、避妊によってなされたというふうに考えております。
 その次が、オイルショックから後の八〇年代になりますと、もう全く様相が変わりまして、用意ドンでスタートすると第一ハードル、これは結婚ですけれども、これが大変で、みんな出生率が落ちた。問題はそこだけでなくて、結婚したと思っても、第一子を持つのも結構高かったんですけれども、ただ二子から三子のところはマイナスのハードルでありまして、これは二人持った人は三人持つ確率が非常に高くて、出生を促進させている。すなわち、子供を全然持たないか、結婚しないでいくか持たないか、またはたくさん持つという二極化現象が起こっているわけでございます。これが八〇年代までであります。
 この辺を中心にして、日本の社会の中で日本の少子化の最大の要因は晩婚化であるという考え方を中心に議論されているようですけれども、私がきょう一番言いたいメッセージは次のパネルの五でございます。
 これは、九〇年代になると様相は非常に逆転してまいりまして、これはもううそ偽りなく人口動態統計と国勢調査データから計算したものでありますけれども、出生率の下がってきた九〇年代前半の最大の要因は晩婚ではなくて、ほんのわずかの差ですけれども、第一子のところのハードルが一番高くなっております。
 要するに、結婚しても第一子を持たなくなったのが九〇年代前半でありまして、三から四は今度はマイナスのハードルでありまして、現在は三人から四人たくさん持つ人と、結婚しないかまたは第一子を持つのは大変という人が今おります。これがですから無子派といいますかチャイルドレス、今の状態が続きますと二七%の女の人がチャイルドレスの時代に突入しまして、一五%の女性が未婚、そして二二%の男性が未婚という状態になります。
 問題は、このグラフの中で、私はこの調査会でお考えいただきたいのは、三、四というたくさん産む人もかなりいるわけでありまして、本当に産む人と産まない人が分かれてしまっている。政策的な対応も、たくさん産んでくれる人に補助を与えるというような、極端な言い方かもしれませんけれども、そういう方向も考えてみる必要があるのではないかという一つの論点を提供してくれるのではないかというふうに思っております。
 その次に、次のページに参りますと、パネルの六であります。これは過去五年ぐらい、昨年の四月までのデータでありますけれども、これは毎日新聞の人口問題調査会でやった世論調査結果をもとにして計算したものであります。パネル六を見ていただけるとわかりますけれども、結婚から第一子、第一子から第二子、第二子から第三子、産む間隔がどんどん延びてきているのがわかります。どんどんあいてきちゃっていまして、ほとんどこれはマスコミで取り上げられていないと思います。これは毎日で一回、昨年七月に第一面で取り上げましたけれども、それ以外は言われておりません。
 その調査の中で、こんなに出生間隔が延びてきた中で、ではあなたは最近バブル経済の崩壊とかリストラによって子供を持つ数または産むタイミングを変えましたかという質問を入れてみました。それは昨年の四月であります。そのときに非常に驚いた結果になりまして、約三〇%の二九・三%の現在出産期にある五十歳未満の女性がイエスと答えております。
 それを分析してみますと、これは統計分析した結果がパネルの八でありますけれども、いろいろ紫色とグレーと両方に、一番上がブルーでありますけれども、これは日本の中でいかにバブルによって出産のタイミング、そして子供を持つ数をあきらめたか、そういう影響があるかということを示したものであります。これは、中に入っている数字は確率であります。
 女の人が三十歳、四十歳代、また中卒、大卒、フルタイム、家族従業者、妻の所得がどのくらい、夫の所得がどのくらい、都市とか農村に住む、これによって女の人でバブル経済の崩壊とかリストラによって子供を産むタイミングをおくらせたりやめたりしたのは七二%の確率、最大持つ確率のグループと、わずかに二・九%しか影響を受けないグループとに分かれてまいります。
 私は何を言いたいかというと、日本の社会の中でバブルがはじけたことによって、出産行動が非常にいろんな階層に違った程度で影響を及ぼしているという一つの統計的な結果だというふうに思っております。特に、妻の年間所得、夫の年間所得が低い階層ほど非常に極端にこれをおくらせているということでありまして、経済的な先行きの不透明感が低所得階層を非常に強烈に襲って、タイミングが極端におくれ始めたということだと思います。
 それから、パネルの九は、じゃ第何番目の子供が生まれる間隔が延びてしまったか。これは九〇年代後半でありますけれども、つい最近の現象でありますけれども、どこに影響があるかというと、これは多変量解析をやってみますと、どこでバブルの影響が出てきたかというと、これは二子目に非常にきいてきました。
 九〇年代前半は、先ほど申しましたように、第一子を産む確率がおっこったんですけれども、後半になりますと第一子が二子へと移行してまいりまして、二子を産まないおかげで三子のタイミングが極端におくれました。というように、ドミノ効果が全体的に日本の出生の間隔をおくらせていることによって合計特殊出生率が下がり続けているという形になっております。
 これは、EUがちょうど出生率が下がっていますけれども、EUがおくれた理由は出生間隔が全部延びたことによるわけでございまして、日本がEU型の経済、今まで言われた少子化社会というのはいわゆる晩婚化主体でありましたけれども、晩婚化というのは確かに今でも重要な要因には変わりはありませんけれども、最大の要因は経済的な不安定要因が、最近ですよ、非常に強くなってきたので出生間隔がどんどんおくれ始めてしまったというEU型の経済、出生メカニズムに近いのではないか。
 パネルの十を見ていただきますと、こんなにおくれ始めた日本の出生力を、もしもおくれを取り戻してあげるとどこまで戻るかというと、合計特殊出生率一・五三まで戻すことができるわけでございまして、一応出生低下に歯どめをかけることができるわけであります。
 この辺はイタリアなんかのケースはもっとすごくて、イタリアは世界最低ですけれども、一・一八ですけれども、タイミングのおくれを修正してあげると一・六九という、日本より本当は高い出生率が生まれるぐらいタイミングの要因が多くて、フランスでは二・〇一まで戻す確率があります。
 そういう点で、世界先進国各国ともタイミングをおくれて子供を持つという状況が非常に深刻になりつつあり、経済的な要因が非常に大きな要因と言われております。ちなみに、アメリカが今先進工業国の中で出生率が非常に高い一つの要因としては、経済的な絶好調さというのがあるというふうにいろんな文献で指摘されております。
 私がここで申し上げたいのは、タイミングがおくれている、いわゆるテンポだけの問題ではなくて、日本の出生力の大きなポイントは、もう一つは最終的に産む子供の数が非常に変わってきてしまっている。陸上でいうと、マラソンに例えますと四十二・一九五を走っているマラソン、これが出産期としますと、今はフルマラソンではなくて、産む期間が短くなったのでハーフマラソンみたいな状態になってきておりまして、それをしかもタイミングをゆっくり走るという、距離が短くなったというだけでなくて、ゆっくり走っていますので、ダブルパンチで出生力が下がってきている。
 私は、この調査会で考えていただきたいのは、ハーフマラソンをもう一回フルマラソンに戻すような政策が必要になってくる。それは、後で八代参考人からいろいろお話があると思いますけれども、一つは不妊症の方がかなり人口の中では多いわけでございまして、そういう人たちはあきらめてしまっている。こういうあきらめている人にかなり産める機会ができるようなそういう機会をつくる、そういう政策も、不妊症に対する対応策も考えてもらえれば、ハーフマラソンがフルマラソンまではいかないにしても、もう少し全体的なスパンが延びるのではないかというふうに思っております。
 ここまではバブルを中心にしたお話でございましたけれども、最近の傾向でありますけれども、結婚も依然として重要な、第二番目にちょっと成り下がりましたけれども、重要な要因であります。
 晩婚化の要因は何かというと、もう決定因子はだれが計算しても出てくるのは高学歴化であります。ただ、高学歴化というのも、おもしろいことに日本の中で結婚年齢が上がっているのは、高学歴化、高学歴化といっても大学卒の結婚年齢とか高卒の結婚年齢という学歴別の結婚年齢は九〇年代ほとんど変わっておりません。どこが変わったかというと、ただ大学を出た人の数が非常にふえているものですから、要するに結婚適齢期の人たちの教育の構成が変わってきたので全体的に引き上がっているというような状態でございます。
 東京都の場合、三十五歳から三十九歳の東京都の男性、これは国勢調査データを見てもらえばわかりますけれども、三二%が未婚でございます。これはもう大変な事態でありまして、三二%。八%だったんですよ、二十年前に。それが三二%ですからね。我々人口学者が日米の共同研究で、これが何%結婚するか、確率だけ計算したんですけれども、ほとんど結婚する確率がないので、東京都は将来的にはだから三〇%か二五%生涯未婚という状態が出てくる可能性があるということでございまして、都市計画を含めて非常に難しい状況が今後出てくる可能性があります。
 それから、高学歴化の一つの要因は、そのパネルの十一を見てもわかりますように、九〇年と二〇〇〇年とで十年間でどのくらい日本の女の人が、未婚女性がキャリア志向が変わったかというのをちょっと見たかったんで分析してみましたら、これも全国調査から分析してみましたら、大学卒の人の願望というのは、ほとんど九〇年代変わっておりませんで、四〇%以上の大卒の女の人たちは生涯働き続けたいという強い希望を持っております。これになりますと、やがてM字型がだんだん山型の労働参加率の形になると思いますけれども、ただ大学への進学率は私は今後ともふえると思います。
 それがパネルの十二と十三でありますけれども、これは全国のミクロデータから賃金関数をはじき出して計算したものでありますけれども、左側の女性と右側の男性で、十年間での賃金の、女性は時間給ですけれども、男性は年間収入で計算しておりますけれども、明らかにリターンに大きな違いがあります。もう女子の場合には大学へ行った場合に、これ二〇〇〇年も強烈に高くなっておりまして、リターンが非常によくなっています。こうなってくると、女性がもう今後とも大学に進むことはほぼ間違いないわけでありまして、利回り、教育の利回りが女子に極めて有利になっております。これは先進国共通の現象ですけれども、こんなに高く差がつくとは思っていませんでしたけれども、アメリカでもイギリスでもやはり同じように女性の方がリターンはいいんですけれども、非常に最近急激によくなっている。こう考えますと、女性のキャリア志向というのは今後とも強まっていくだろう、未婚女性ですけれども。そういう中で、こういう人たちにどういったような援助を与えていくか、支援をしていくかということが政策的に対応が重要だと思います。
 ただ、その次に、全体的に女性の職場進出とともに離婚率の上昇が非常に最近上がってまいりまして、結婚の魅力が低下している可能性がある。東京オリンピックのときの離婚が千組、女の人が千人結婚すると八十人が離婚をする確率が出ていたんですけれども、今は千人結婚すると二百八ぐらいまで上がってまいりました。これはデータのとり方によりますけれども、ドイツやフランスとほぼ肩を並べるぐらいまでの離婚率になってまいりまして、これは最近のデータで分析してみますと、女の人が専業主婦からフルタイムで働き始めたときに離婚率が急上昇しております。これは全国のミクロデータから計算した結果でございますけれども。ですから、皆さんの家庭で、奥さんがフルタイムの専業主婦から急にフルタイムで外で働きたいと言ったときにはかなり離婚の可能性が高くなったという一つのシグナルではないかというふうに考えてもいいと思います。
 ただ、意外と、日米の共同研究をやってアメリカの学者が非常に驚いたのは、日本の未婚女性が、結婚してもうまくいかなかったら離婚してもいいというのが六〇%おりまして、アメリカの同じ調査、同じ質問をしても六六%とほぼ肩を並べるんですね。これは離婚志向というのが非常に、アメリカは子供が生まれてから十五歳になるまでに二人に一人は片親になるという、そんなような離婚のリスクがありますけれども、そこまでいかないにしても、やがて離婚というのが次第に上がってくる。そうすると、結婚に対してちゅうちょするのではないか、出生にも影響が出てくる可能性は高いというふうに思われます。
 それからもう一つは、性行動の変化がありまして、結婚のタイミングをずらしている、おくらせているのが性経験ではないかと思います。それで、しかも同棲というのをちょっとデータを見てみますと、パネルの十四にありますように、これは明らかに、右と左側のパイチャートを見ていただければわかりますけれども、性経験を持った女、未婚女性ですけれども、この人たちの同棲に対する肯定は非常に高くなっておりまして、この辺が今のところは同棲する確率が非常に少なくて、今、日本はパラサイトシングルで親元に住んでいるわけですけれども、やがてこれがパラサイトからコハビテーションに変わっていく、どこかそのスレッシュホールドがいつか来るんではないかというのが日米の共同研究でやったときの一つの結論でございまして、これが今のところ規範によって何とか抑えられていて、世間の目というのもあるんでしょうけれども、抑えられているんですけれども、やがてこれはますます性行動の低年化によって引き金がどんと引かれてこれが変わる可能性もあるというふうに思われます。
 もう一つ、じゃ未婚の女の人はみんな結婚したくないかというと、そうではなくて、結婚したいという人はやや下がってきているものの、九〇%ぐらいの未婚女性は結婚したいと思っています。
 これもやっぱり全国調査、九八年のデータでございますけれども、おもしろい結果がございました。九〇%の女の人が結婚したいと思っているんですけれども、その中でできるだけ早く結婚したいという人がかなりいるんです。このできるだけ早く結婚したいという女の人はどういう人かということで統計的に分析してみましたら、教育とか生まれたときの育ったときの地域とか職業とかいろいろデータは入れたんですけれども、最後まで統計的に有意性が残ったのは、その女の人が小学校とか子供のころに父親が家庭でどのくらい育児、家事に参加したかというのが最大の決定因子になって残ってしまいました。要するに家庭の中で、皆さんここの場では政策的ないろんなマクロの対応を掲げられていますけれども、ミクロの家庭のレベルで、まず父親がどのくらい家庭参加、男女共同参画型社会に実際に行動するかというところが極めて女の人の結婚志向の強弱を決めてくると。これは最後まで統計的に有意が残りました。
 そういうこともジェネレーションのミクロの段階です。皆さん個人のところ、家庭家庭でそういったダイナミックスが起こっていることをひとつぜひ肝に銘じておいていただきたいというふうに思います。
 既婚女性の方が、先ほど言いましたように、多極化して、たくさん産む人と産まない人といろいろ出てくるんですけれども、少なくとも私のきょうの話の申し上げたい第一のポイントは、少なくともバブルでかなり影響を受けちゃって、間隔があいてきちゃったので、これを何とか経済的に長期的に、私は経済成長率を上げるとかそういうことじゃなくて、安定した社会の展望をその人たちに与えることによってかなり安心感を持って産めるんではないかと。少なくとも、第二子をおくらせている部分がかなり取り戻されて、そして二子がおくれた分で三子もおくれていますので、三子、四子が取り戻すことによって出生率の低下に歯どめがかかる。
 さらに、やはり女の人が働きたいという人がかなり多いので、保育園等そういったものの施設も重要だと思いますけれども、私どもやりました全国の調査では、未就学児童を抱えている母親の、九〇年代全部通してですけれども、五回ですか、全国調査やりましたけれども、二五%前後のお母さん、二五から二八、九、三〇パーセント以下ですから、のお母さんしか保育園に預けていないんですよ。あと七割ぐらいのお母さんは、未就学児童を抱えても預けていない。預けていない人に何でと、どうしてですかと質問していますけれども、そのときの最大の答えは、七割ぐらいの人が答えているんですけれども、返答は、自分の子供は自分の手で育てたいからというマザーリングという非常に大きな仕事に価値を見出しているわけでございまして、この辺が保育園対策の難しさでありまして、ほとんどの人はやっぱり保育園じゃなくて自分の手で育てたいと。そういう問題があるわけです。
 ただ、あと保育園を使わない人の問題では、時間が合わないという人はわずかに二%程度でありまして、一〇%、一一%の人がコストが高過ぎるという答えが返ってきたので、この辺は何とかしてあげればもう少し働く仕事と育児が両立する可能性はあるんではないか。
 ただ、日本の社会の中で、人口全体から見てみますと、日本の人口の分布がモザイク状態に今なっております。年齢構成が地域によって全く違った年齢構成になっていますので、保育園も団地の例を見てみればわかるのでありまして、私たちの研究所にも問題を持ち込まれるのはどこかというと、団地からいろんな相談を受けまして、一気に高齢化していっちゃうわけですよ、みんな同じぐらいの年代の人がいるものですから。
 そういったのがモザイク化現象みたいな形になって、すごく高齢化しちゃって、その隣にすごい若いのがあったりして。そうすると、急激に同時に高齢化してしまったところに幼稚園つくって、小学校つくって、中学校と、それも時代に合わせてつくっていくんですけれども、それはどんどん変わっていってしまうという一過性ということが、需要の一過性が非常に難しい対応だと思います。
 私自身もあれですけれども、横浜で一回講演したときに、高齢化社会の話なんですけれども、何とそのやった場所が保育園だったんですよね。要するに、保育園ががらがらあいちゃっているものですから、そこしかあいていなくて。事実、座ったのが、保育園のいすに座っちゃったんです、私たち。これはまさに高齢化というか少子化対策の難しいところで、日本の人口の変化というのは非常に速いものですから、ハードウエアが追いつかないんですよ、変化に。これが一つの対応の難しさだというふうに考えております。
 それから、私は、政策的には、パネルの十五にございますように、少子化対策の対策を立てるんだったら今しかないというふうに考えております。これは、二十五歳から三十四歳の女性の数をグラフに、ピンクで縦型になったのが生まれた子供の数ですけれども、点々点々となっている方が女の人の数なんですけれども、今六百万人を超えている状態でありまして、これが二〇〇六年までこの状態が続きます。これは第二次ベビーブームがその世代にあるわけで、この世代が、だからあと五年ぐらいの間に何とかして対応策ができないときには絶対数で子供の数が減っていく可能性が極めて高いわけでありまして、日本に残されたある面では最後のチャンスかもしれません。
 そういう点で、私は子供に対する少子化対策というのを立てなきゃいけないと思いますけれども、私は、日本の中で今議論されていない一つの問題点は、子供とは一体何であるかと。この調査会でもいろいろ考えられておるんでしょうけれども、子供が公共財であるという前提のもとに日本の社会が議論をしているようでありまして、要するに国のものといいますか公共のものであるから年金や何か心配するんですけれども、実際には、皆さんのお子さん自身を考えてみればわかりますけれども、この中でお子さんが私立高校、私立大学に行っている方もいっぱいいるわけで、子供が私的財的な要素、私的財、自分のものである、私的財の要素と、国が出している部分、公共財と両方、これは大分子供によって違うわけであります。今、私立化が非常に進んでいますので、私的財要素が非常に子供の間で強くなっています。そういう中で、国がどこまでそういう少子化対策に踏み込めるのかという問題があるので、この辺から出発をする必要もあるかと思います。
 それから、私は、最終的には、もしも本当に少子化対策を立てようというときに、物すごく出生率が下がってしまった場合、ただいろいろ試算してみますと、シミュレーションをかけてつい最近やったばかりですけれども、シミュレーションをかけてみたら、二十五歳―二十九歳の未婚率が七五%まで上がっちゃった場合にはどこまで出生率が下がるかというと、一・一八ぐらいまで下がります、合計特殊出生率が。それを避けるためにもいろんな対策が望まれるわけでありますけれども、ただ、一つ政策が、日本の場合には児童手当を含めて、ある程度所得制約はありますけれども、総花的ないわゆるエクイティー、公平原理をもとにしてみんなに公平に行き渡るような政策をとっていますけれども、きょうのこの分析を聞いていただいておわかりいただけるように、産む人と産まない人が極端に分かれています。本当にもっと産みたくても産めない人がいっぱいいるわけでありまして、産みたい人にたくさん援助を与えるというようないわゆる効率を考えた政策、エフィシェンシーを考えた政策に踏み込むことも、考えることも重要な時代に入ってきているのではないかというような感じがいたします。
 最後に、たまたま、ちょうど一年前になりますか、アメリカ人口学会で、日本でも著名な歴史経済学者でありますロストウという人がいます。これは経済発展段階のいわゆるテークオフとかそういう言葉をつくった人ですけれども、彼と同じパネルで一緒にやるときがありました。彼はその中でおもしろい論文を発表していまして、「ジャパンズ・フォース・チャレンジ」、日本の第四のチャレンジというタイトルで話していました。彼はケネディ大統領の経済補佐官、担当もやっていたんですけれども、彼の説では、第一のチャレンジというのは、徳川三代による鎖国のときの徳川のあの政治力。それから第二のチャレンジというのは、明治のときのいろんな人たちのリーダーによるチャレンジ。それから第三は、戦後の日本の復興にかけた日本のリーダーシップ。それで、第四というのは何かというと、まさに皆さん、きょうの我々のトピックであります少子化、高齢化であります。
 これは日本は、もうアメリカの学者にしてみれば物すごいチャレンジであって、これを乗り切るためには今まさに何が重要かというと、彼の結論は、まさに日本のポリティカルリーダーシップ、政治的なリーダーシップが必要である、まさにそれが問われているというふうに彼は結論づけておりました。外国人から見てもそのくらい深刻な問題であるというふうにとらえられているわけでありまして、この調査会の果たす役割は非常に大きいのではないかと思いますし、ぜひ皆さん方に賢い選択をしていただきたいというふうに思っております。
 どうもありがとうございました。(拍手)

○会長(久保亘君) ありがとうございました。
 次に、八代参考人にお願いいたします。

○参考人(八代尚宏君) 八代でございます。
 私は、今、小川先生がお話しになったところとやや違う角度からお話しさせていただきたいと思います。
 私は、主として労働市場、社会保障の方に興味を持っておりますので、少子化問題というのは一つの社会における制度的なひずみがもたらした一つの現象であるというふうにとらえてみたいと思います。
 これまで、官庁それから民間、いろんな場所で少子化対策というのが非常に重要であるということが指摘されていたにもかかわらず、現実の出生率というのはどんどん下がっている、余り効果が見られていない。それはなぜなのかというと、実は少子化対策をすることによってさまざまなコストがかかってくる、そのコストが余りにも大きいから、少子化対策というのが重要だということはわかっていてもできないんだという、そういう社会的な利害の衝突といいますか、そういう問題に目を向けないと、総論賛成各論反対になってしまうんじゃないかということでございます。
 ただ、政策的対応を考える場合にやはり原因の方も考えなければいけないので、少しその点に触れさせていただきたいと思います。
 私のレジュメを一枚めくっていただきますと、過去の合計特殊出生率の推移がございます。これはもう言うまでもないことでありますが、一人の女性が一生の間に産む子供の数というふうに定義されておりまして、先ほど小川先生からお話があったように、一貫して下がってきているわけであります。
 ここのグラフは第二次出生転換のところしか書いてございませんが、非常に興味深いことは、過去の政府の人口推計がことごとく間違っているわけであります。人口推計が間違っていると言いますと、あなたたち経済学者だって経済見通しをいつも間違えているじゃないかというふうに怒られるんですが、経済見通しは高過ぎたり低過ぎたり満遍なく間違えるわけなんですが、この人口見通しは常に一方方向に間違うわけであります。それはなぜなのか。やはりそこは何か基本的な問題点があるんではなかろうか。
 それは結局、人々の行動変化という要素が今の人口推計では必ずしも織り込まれていないんじゃないか。過去の人々の行動を一定と考えて将来推計すると、晩婚化という要因が出てくる、晩婚化ですからいつかは人々は結婚する、結婚すれば子供ができる、そういう意味で自動的に出生率が反転上昇するという予測がこれまで行われてきたんですが、それが残念ながら実現していないわけです。
 最近の二つの推計ですが、九二年九月推計と九七年一月推計で安定したときの出生率の水準が〇・二ほど違うんですが、この〇・二の違いが下の新旧人口推計の比較に反映されるわけであります。すなわち、二〇五〇年の高齢化のピークの老人比率が大体五ポイントぐらい差ができますし、人口の減り方が急速に速まるわけであります。これがまた社会保障財政の見直しにつながってくるわけであります。そういう意味で、なぜここまで出生率が下がり続けているのかという点がポイントであります。
 先ほど小川先生は、非常に詳細な調査をもとにして、人々の不安感が一つの大きな原因ではないかという御説明をされました。一時点をとりますと確かにそういう御説明が成り立つと思うんですが、例えば、この出生率のグラフを見ていただきますと、日本経済がまさに絶頂期にあったバブル期のときですら出生率は下がり続けているわけであります。ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われて、日本人が世界にこれほどうまくいっている国はないというふうに考えていて、将来がバラ色のように見えた時期でも、出生率は下がり続けているわけですので、より歴史的な経緯を見ますと、必ずしも将来に対する不安だけが出生率低下の要因ではないんではなかろうか。もちろん将来の不安をなくすということは非常に重要な要因ではありますけれども、そういう経済的な要因だけじゃなくて、もう一つのやはりなぜ子供を持ちたいのに持てないのかというふうに考えますと、そこで、子育てのコストが余りにも高過ぎるからだというような結論が出るわけであります。
 その前の前提に私どもが考えておりますのは、子供というのはそもそもぜいたく財である。ぜいたく財という定義は、所得弾性値が一よりも大きくて、本来人々が豊かになれば持ちたいのが子供である、より多く持ちたいのが子供であると。これは先ほどの小川先生の御説明にありましたように、理想子供数というのは三人近くに達しているわけですが、それはさまざまな制約条件のもとでそこまで至っていないわけであります。
 それでは、なぜそのように人々が持ちたいと思っている子供が現実に下がり続けているのかと申しますと、それは持つことによるコストというものが年々高まってきているからだというのが一つの経済学的な説明ではないかと思います。それは何かと申しますと、よく言われるのが教育費とかいろんな子育ての費用ということでありますが、私はそれ以上に大きいのが、子育ての機会費用といいますか、子供を持つことによって、特に母親でありますけれども、母親の生涯所得が失われるコスト、これが実に大きいわけであります。
 以前、厚生省が一人の子供を育て上げるまでにどれだけの費用がかかるのかということを試算いたしましたが、それが大体二千万という数字がございます。しかし、経済企画庁が後で、一人の子供を育て上げるために例えばフルタイムで働いていた女性が出産、子育ての間仕事をやめて、それからその後パートタイマーで再就職して定年まで働いたとすると、その間の生涯所得の格差を計算しますと大体四千三百万円という膨大な額になる。つまり、フルタイムで子供を持たずにずっと生涯働き続ける場合と、子供を育てるために企業を退職してしまう、そうすると日本的雇用慣行のもとではもう二度とフルタイムでは復帰することは非常に難しいために、結局生涯において非常に大きな損失が生じるということであります。
 これが子育ての機会費用でありますが、この機会費用というのは、女性の高学歴化が進んで、どんどんいい仕事の機会が膨らめば膨らむほどこの費用は上がってくる。それが子供の数を抑制している、あるいは結婚を抑制している大きな要因ではないかというふうに考えるわけであります。
 こういう説明の仕方をしますと、残念ながら出生率の回復というのは非常に難しいわけで、女性の就業率は今後とも高まり続けるだろうと思われます。これは、既に起こった少子化現象によって労働力人口は間もなく減少に向かいます。そうなりますと、ますます労働需給が逼迫して女性の働き口も広がるわけで、そうなるとそれだけ子供を産むコストはますます大きくなるわけであります。ですから、放置しておいて自然に出生率が回復するということを期待することはできない、いかにして子育ての費用を下げていくかということが最大の少子化対策ではないかと思います。
 その子育ての費用の最大のものである、女性が働き続けることとそれから子供を持って育てるということが両立できないという矛盾はどこから来ているかと申しますと、そこが日本の働き方の問題、それから保育サービスの貧困さということであります。
 これは、必ずしもすべての女性がフルタイムで働き続けたいということを前提に議論しているわけではないわけで、先ほど小川先生が御説明ありましたように、七割の女性は子供が小さいうちは自分の手で育てたい。それはいいんですが、子供が手を離れたときにもう一度フルタイムでいい条件のもとで労働市場に戻れるような環境があれば、自分の手で子供を育てるということと生涯にわたる子育ての費用を下げるということは決して矛盾しないわけであります。
 今の最大の問題点は、自分の手で子供を育てようと思ったら、もう生涯にわたるフルタイムの仕事ということを女性はあきらめなければいけない、どれほど高い能力を持っていてもそういう状況になっているという問題があるのではないか。これが社会的なひずみであり、それが少子化の問題を引き起こしている最大の要因であるというふうに考えれば、これは決して少子化対策としてだけ考えるべきものではないわけで、男女共同参画の問題もありますし、要するにもっと住みよい社会をつくるという経済社会政策の基本にかかわる問題でありまして、住みよい社会であればもともと少子化対策なんかは要らないんじゃないか。そういう意味で、子供が私的財か公共財かという問題以前に、住みよい社会をつくっていけば自然と少子化問題もなくなってくるんじゃないか。そういうような仮説ができるわけであります。
 ちなみに、女性の就業率が高いから少子化が起こるということは、決してだから女性が働かなければいいんだということにはならないわけです。既に起こった少子化によって労働力は今後減り出しますから、今後の日本の経済社会では女性が働かなければどっちにしても経済も社会も成り立たない状況になっている。
 したがって、女性が働くことを前提に少子化対策を考える、住みよい社会をつくるということが前提であって、女性を家庭に戻せば問題は解決するというのはアナクロニズムであって、それがいいか悪いかは別として、そんなことはもう選択の余地がないわけであります。ですから、よく家庭が大事か働くことが大事かということを言われますが、両方大事なわけでありまして、そういう時計の針を逆に戻すような政策というのはもう最初から考えても仕方がないというふうに見るべきではないかと思います。
 それでは、時間も限られておりますので、どういう形でそのコストを下げるかということですが、最大の問題点は働き方であります。働き方というときに、日本的雇用慣行という問題をやっぱり避けて通れないかと思います。終身雇用が維持されて年功賃金が家族の生活を保障する、この日本的雇用慣行というのはこれまで日本の高い経済成長を支えてきた非常にすばらしい制度であったわけであります。
 ただ、同時にコストも大きいわけでありまして、日本の労働者は外国人から見れば雇用は保障され、年々賃金が上がっていく、非常にうらやましいというような人もいるんですが、実はその背後に日本の労働者は膨大なコストを払っているわけであります。例えば、終身雇用が保障されているかわりに、どこで働くか、どんな仕事をするかという権利を日本の労働者は持っていない。それは全部企業の人事部が握っているわけであります。頻繁な配転であるとか、あるいは仕事を一方的にかえられてしまう、そういうことはすべて終身雇用の代償として日本のサラリーマンは甘んじているわけであります。
 特に大きいのが男女の働き方の固定化ということでありまして、日本の年功賃金、終身雇用というのは家族ぐるみの雇用システムというふうに言われておりまして、女性が家庭で家事、育児を全面的に責任を担う、そのかわり男性はあとのことは何も考えずにひたすら企業のために働き続ける。一日十時間、十二時間労働をしても大丈夫なようになっている。そういう男女の固定的な役割分担を背景に、企業は男性に集中的な企業内訓練を与えて非常に生産性の高い労働者を今までつくってきたわけであります。
 このように世帯ぐるみ、家族ぐるみ雇用するという企業のポリシーが、女性がフルタイムで働き出すと非常に矛盾が起こってくる。つまり、もともと奥さんのいる男性をベースにつくられているシステムですから、奥さん自身が働きに出るとだれが家事をするのか、だれが子供を育てるのかということの矛盾にぶち当たるわけであります。その意味で、働く女性にとっては結婚して出産するか、仕事を続けるのかというのが究極の選択肢になってしまう。
 これまでは結婚退職、出産退職という形で仕事を犠牲にして家庭とか育児をとっていたわけなんですが、女性が高学歴化してしかもホワイトカラーの仕事がふえてくると、私の大学でもそうでありますが、男性よりはるかに優秀な女性がたくさんいる、成績もいい、なぜ成績のいい私が仕事をやめて成績の悪い夫が仕事を続けなければいけないのかという疑問が当然出てくるわけであります。そうなると、結果的には育児、子育てとかを犠牲にしてこのまま働き続けるか、あるいは産んでもせいぜい一人しか産まないというのが非常に合理的な行動になってくるわけであります。
 ですから、これまでのような高い経済成長を前提として、企業が労働者に徹底した企業内訓練を与える、そのかわりその労働者をまた徹底的に使うというこれまでの雇用システムが男女共同参画社会とも基本的に矛盾してしまうわけであります。
 女性が働き出せば必ず少子化が起こるかというのはそうではないわけでありまして、お手元の資料の中で、ページ数で言いますと五ページ目にちょっと変わったグラフがついております。これは、男女間の就業率格差、女性の就業率と男性就業率の比率をとっておりますが、こういうU字型曲線が描かれるんじゃないか。
 経済発展が進むとともに女性の就業率が高まってくる。そうすると、出生率は下がってくるわけでありますが、ある点を過ぎると反転して逆に女性の就業率の高さと出生率が正の相関を持つようになる。日本はちょうどこの一番底の部分にあるわけなんですが、そういうふうに考えますと、女性が働き続けても出生率を上げることは十分可能である。
 どうすればいいかというと、それはまさに女性が働くことといい仕事につくということが矛盾のないような働き方になっていればいいわけでありまして、そういう北欧を初めとする男女共同参画がかなり実現しているような国では、決して女性が働くことと出生率の回復ということは矛盾しないわけであります。
 それはどういう働き方かというと、非常に多様性のある働き方を受容するということでありまして、例えば子育て期に四、五年休む、しかし前と同じ条件で復帰できる。別に子育てのためだけじゃなくて教育のためでもいいしボランティアのためでもいいし、とにかく一生企業の中で継続的に働かなければ昇進できないという今のシステムから、個人がより選択できるようなシステムに変えていけばいいわけであります。
 具体的に、このやり方は、例えば年功賃金のカーブがフラットであれば、企業は何歳の人を雇っても賃金コストは同じであります。現在は、同じ能力を持っていれば年齢の高い人ほどコストがかかりますから、企業はできるだけ若い人を雇いたがるわけであります。終身雇用もそうでありまして、もっと人々が企業を頻繁にかわるようになる、男性も女性も自分の生きがいを求めて企業をかわるようになれば、逆に言いますと、企業も中途採用者を受け入れるのが当たり前になる。そうなると、子育てを終えた女性を採用することも、本人の能力さえあれば企業にとっては当たり前のことになってしまう。
 そうなりますと、これまでの日本の経済発展を支えてきていた終身雇用とか年功賃金という日本的雇用慣行とこの女性が働きやすい環境というのが実は矛盾してしまう。その意味で、これまでの雇用慣行を守らなければいけないという立場の考え方からすれば、そこまでして子育てと就業の両立をする必要があるのかという疑問が出てくるわけで、これがまさに各論反対なわけです。
 ですから、女性が働きやすい職場というのは実は男性から見れば脅威の職場であります。これまでは、有能な女性が自然と適齢期になれば結婚してくれて、出産してくれて、企業からやめてくれた。したがって男性は不戦勝を得ていたわけでありますが、これからは大学と同じように企業の中でも能力の高い女性がどんどん進出してくる。これは中高年男性にとって極めて脅威であります。自分の仕事が奪われるかもしれない。特にリストラの時代であります。
 そうなると、残念ながら、そうまでして女性が働くからこの世の中は悪くなるという説が非常に有力になるわけでありまして、その意味では、私は、これは労働者間の利害対立の問題をどう考えるか、この点は、経営者団体も組合も必ずしもその意味でそこまでして女性が働きやすい職場をつくるのがいいかどうかについて残念ながら否定的な見解をとっている場合が多いんじゃないか。これが私は少子化問題に対する最大の障害であって、この点から目を向けて、ただみんなで少子化問題は考えましょうと言っても一歩も進まないんじゃないかと思われます。
 第二が、働き方の問題と同じようにもう一つの大きな抵抗があるのは、保育サービスのことであります。
 女性が働く、これは男性でも同じなんですが、やはり安心して子供を預ける場所が要る。今その役を担っているのは公立保育所、社会福祉法人の保育所であります。ただ、これは先ほど小川先生も少しおっしゃいましたが、非常に硬直的であると、需要の一過性の問題を言われました。例えば、公立保育所をつくる、しかし団地につくった場合に、子供がいなくなったら途端に要らなくなってしまう。しかし、公立の施設というのは一たんつくったらやめることはできないわけであります。そこに働いている人はどうするのかという問題があったりして、非常に硬直的である。
 日本はもう保育所は実は余っているわけであって、全国ではたしか三割ぐらいの保育所が余っていると言われております。ですから、厚生省もそんなに保育予算をふやすことはできない。これは結局、地域間の格差が余りにも大きいわけで、子供がたくさんいる都市部では保育所が不足している、しかし郡部では逆に余っているという地域格差であります。
 これが民間であれば、自然と需要がないところの保育所は閉鎖されて需要があるところに移ってくるわけでありますが、公的部門主体でやっているという制約のもとで、需要が減っても供給は減らすことはできない、しかし全体の予算制約から新しいところにはなかなかつくれない。こういう問題があるわけで、これは別に保育所だけじゃなくてあらゆる公的施設について共通して言えることであります。
 それからもう一つは、日本の保育所というのは、公立でも社会福祉法人でもそうですが、世界一水準が高いと言われております。それは非常に結構なことなんですが、ただ、世界一高い水準の公立保育所を守るために極めて厳しい設置基準がある。もちろん保母さんの数とかそういうものは絶対に譲ってはいけない設置基準であるわけなのでありますが、例えば、園庭の面積であるとか、あるいは調理室があらゆる保育園になければいけない、調理人もいた方がいいと。そういうような絶対必要な基準と、今のように給食サービスが発展したらほかでも代替できるようなサービスが、基準が一緒になって全部クリアしなければ認可保育所として認められない。認められれば、認可保育所になれば膨大な補助金がもらえるんですけれども、認可保育所でなければ、自治体が特別にやらない限りは一銭ももらえない。
 現在の公立保育所の問題はちょうど公営住宅と同じであります。入れた人はハッピーであります。公営住宅でもそうでありますが、都心の一等地に非常に安い家賃で入れる、しかし入れない人が延々と列をなしているわけでありまして、都心部における公立保育所も同じであって、幸い入れた人と入れない人の間に物すごいギャップがある。入れない人は余り質のよくない無認可保育所に高いコストを払って入れなければいけない。この不公平性をどうするのかということであります。
 それから、公立保育所の場合は、残念ながら、公務員主体でありますから、なかなか例えば夜間保育とか休日保育に応じてもらえない。最近夜間保育は少しずつ厚生省の指導でふえておりますが、休日保育というのは基本的に進んでいない。休みの日ぐらい親は子供のもとにいるべきだという考え方があるんですが、そうはいったってサービス産業が盛んになれば休日働かなければいけない親はたくさんふえているわけで、そういうものは全部無認可保育所が担っているわけであります。
 したがって、子供を持つ母親全体のことを考えれば、あるいはもし子供を安心して預かってもらえる場所があれば預けて働きたいという女性もいるわけでありまして、そういう二十五歳から四十歳の働いていない女性の就業希望率は非常に高いわけで、先ほど小川先生のおっしゃったM字型カーブをほとんど埋めるぐらいであると。そういう就業希望を持ちながら現実には働いていない人たちになぜそれが制約になっているんですかと言うと、子育てのためということになるわけであります。
 したがって、保育所だけがすべてではありませんが、もう少し弾力的な保育サービスが認められれば、つまり補助金をもらえる保育所の認可基準を、どうしても譲れないような保母さんの数というものは当然そのままにしておいて、例えば、庭がなくても駅前保育所であってもある程度の補助金が出るというふうな仕組み、あるいは調理室がなくても、隣の幼稚園でやっているようなセントラルキッチンから衛生的で安心して温かい質の高い食事が給食されるのであれば、個々の保育所が調理室を持たなければいけない必然性は必ずしもないわけであります。
 ですから、できるだけ認可基準というものをもっと弾力化することによって多くの保育所に公的な資金が投入される。できれば、切符といいますか、施設に対して一方的に給付するんじゃなくて、一定の基準を備えた施設であればどこでも使えるような保育切符を子供を持つ母親に給付することで、母親がより自由に保育所を選べるような仕組みをつくる、それによって保育所間の競争がもっと促進されて、消費者から見てサービスのよい保育所に子供を預けられるような競争原理を導入すると。それが働き方と子育ての両立を図るための、既存の予算制約のもとでは必要な手段ではないだろうかというふうに考えているわけであります。
 それから、ちょっと時間もありませんが、最後に、こういう働き方と保育所以外にも、今の日本では女性が子育てと仕事を両立させる、あるいは家族にとってそういうことが両立できることを妨げている暗黙の意図せざる制約というのは幾つもあるわけであります。
 例えば、通勤時間というのがこれは非常に大きな制約であります。今の政府の政策は、暗黙のうちに女性が家庭で子供を育てるということを想定して郊外の一戸建て、持ち家に対していろんな支援をしております。公団住宅も郊外にどんどん建てられる。しかし、都市部で、日本の東京というか大都市ほど都市部の空間がむだに使われているところはない。低層住宅がいっぱいある。ここをなぜもっと高層化できないか。建築規制とか容積率であるとか、それから日照権の規制であるとか、いろんな規制がありまして都市部の良好な住宅の建設を阻んでいる。
 ですから、郊外に一戸建ちを持つというのは専業主婦世帯であればそれは構わない。夫だけが長い通勤時間を来ればいいわけでありますが、共働きではそんなことはできないわけで、もし共働き世帯を援助するんであれば、もっと都心部に良好な家族向けの賃貸住宅を建設する必要がある。
 これは、決して政府が公団をつくってつくれということじゃなくて、民間にそういう住宅をつくるような規制緩和を進めるということは十分可能ではないだろうか。国が何かお金を使わなければ政策じゃないという時代はもう過ぎているわけであります。いかに民間を活用して住みよい社会をつくっていくか。そのためには、今非常にむだな規制がいっぱいあるわけであります。
 それから、一言細かいことを言えば、通勤手当というのも実はバイアスを持っております。通勤手当に対する優遇税制というのも長い通勤を促進するような要素であって、そういう税制をやめて基礎的な賃金に振りかえてもらえば、都心部の高い家賃を払うことと郊外に一戸建ちの住宅を買うということの、通勤費用はほとんど会社が補助してくれますから、そういう選択肢のバイアスというものを正すことができるわけであります。
 それから最後に、やはり家族の役割というのが大事であって、日本ではまだまだ伝統型の家族を守ろうという制度がいっぱいある。これは、税制の配偶者控除もそうでありますし、社会保険における第三号被保険者の問題とか、それから健康保険における扶養者の考え方もそうであります。つまり、女性が働き出すといろんな制約になるような制度がいっぱいある。
 それから、今少し問題になっております夫婦別姓選択もそうでありまして、この程度のことがなぜできないのか。要するに、何も全部別姓にしろと言っているわけではなくて、別姓でも同姓でも選べるようにしようという、単に選択肢を広げるだけの話であって、国民の大部分は結婚すれば夫婦は同じ姓であるのが当たり前だと思っている。その人たちには何の影響もないわけでありますから、こういう選択肢を広げるという政策すら否定して、とにかく一つの枠に押し込めようというような考え方が基本になっているわけで、こういう考え方で一方で少子化対策をやれ、男女共同参画をやれと言っても完全に矛盾しているわけであります。
 ですから、まずそういう総論だけじゃなくて、各論部分において少なくともできることからしていくというのが私は最大の少子化対策ではないかと思います。
 ありがとうございました。(拍手)

○会長(久保亘君) ありがとうございました。
 以上で参考人の意見陳述は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑は午後四時ごろをめどとさせていただきます。質疑を希望される方は、挙手の上、会長の指名を待って質疑を行うようお願いいたします。
 それでは、質疑のある方は挙手をお願いいたします。

○加納時男君 自民党の加納時男でございます。
 お二人の参考人の方からとても目からうろこが落ちるようなお話を伺って、ありがとうございました。大変勉強になりました。特に、今、後半でお話しされた八代参考人のお話の中で、例えば、私の問題意識は仕事と子育てをどのようにして両立していくのか、それを阻んでいる障壁は何か、その中で社会的障壁があるとすればそれを打破していくのが政治の役割だというふうな理解のもとに質問をしたいと思っております。
 御提案のあった、例えば都市部での家族向けの住宅の充実、これは民間を活用すること、あるいは保育に関するバウチャー制ですね、そういう御提案、それから夫婦の姓の、別姓、同姓については選択制にする、私のかねてから考えていることと全く同じで非常に心強く感じたわけであります。
 質問が二つ、三つあるんですけれども、一つは、先ほど五ページの附属の表の、図表の一の六というんですか、「男女間就業率格差と出生率」というU字型のカーブのを拝見しまして、非常にこれを興味深く拝見しました。
 左の方から下がってくる、その下がる前の左の高いところ、高い相関のあるところはどちらかというと男性主導型の社会で、女性の地位のまだ発展途上にあるような、もうちょっと別な言葉で言うとまだ差別の残っているような国が多いのかなという感じがします。
 かなり進んできた国がボトムにある。ボトムのところで目立つのが日独伊といいますか、かつて第二次大戦で負けた国が三つ最低のところに並んでいる。なぜだか全然わからないんですけれども、そういうことがある。
 それから、右の上の方に行くと、かなり女性の参加の歴史の長くなってきた国というのがかなりある。それから、民族の移動のあるところもかなり入っているのかなと。例えば、アメリカなんかはかなり従来型の、アメリカの伝統的な、主流の人たちではないニューカマーがかなり子供をたくさん産んでいるということもあるのかなとも思いますが、いずれにしても女性の就業比率が上がっていることと出生率の回復が、これは日本にとって非常に示唆に富んでいるんじゃないか。
 でも、相関関係は非常によくわかったんですが、きっと因果関係があるだろうというので、私の質問の第一は、これの表の、特にボトムから右の方に上がっていく国々における相関関係が見られますけれども、それの因果関係は何でしょうかというのが質問でございます。
 先ほどのお話をちょっと伺っていると、例えば雇用システムを改善してきた、日本型のいわば男性が働いて女性が家事をするというのから徐々に切りかわってきて、その切りかわるきっかけになったのが再雇用されてもいわゆる年功序列で賃金が決まらない、能力で賃金が決まるとか、終身雇用じゃなくて幾らでも転職ができるようなことになってくると、しばらく育児のために一年間とか休業してもハンディにならないということがキャリア女性にとっては非常に子供を産みやすくなったのかなと思うんですけれども、そういうこともお調べでありましたら、因果関係というのを伺いたいのが第一であります。
 二つ目は、先ほど夫婦別姓のお話がございましたけれども、いわゆる婚外子、結婚していない間の男女の間で生まれた子供というのは、日本ではまだまだ私は差別を受けているような気がいたします。スウェーデンにも参りましたけれども、こういう国ではそういう婚外子が非常に多いんですね。フランスも多いんですね。そういう国の出生率がかなり上がっているのかなと。フランスも低い、低いと言いますけれども、これで見るとボトムからかなり上のところに、U字型のラインの上の方にフランスは来ているのかなと、回復しているというふうにフランスからは聞いておりますが、そういったこともあるのかなと思うんですけれども、婚外子を日本でももっと、夫婦別姓の選択制と同時に婚外子をもっともっと差別しないといいますか、受け入れるような、そういう度量のある社会システムをつくる必要があるのかどうか、これは両参考人の御意見を伺いたいと思います。
 最後の質問ですけれども、先ほど小川参考人の方からマザーリングというお話がありました。それからまた、女性の結婚志向というのは六歳ぐらいまでの間に父親が家にどのぐらいの存在感でいるのか。家事を手伝うとか、時々一緒に食事をするとか、朝晩一緒だとか、そういうことが大事だと、非常にこれもはっとする話だったんですが。
 そこで、例えばなんですけれども、余り私的なことを言っちゃいけないんですけれども、私は実は子供が四人いるわけです。割と早く結婚をしまして、家内が学生の間に婚約したなんて余計なこと言っちゃいけないんですが、ともかく結婚したらすぐ子供が生まれまして、次々と四人も生まれちゃって、女の子二人、男の子二人ですが、これがまたまた、なぜかみんな、二十三とか二十四とかでみんな結婚しまして、子供をまたばたばた産んで、今、孫が七人いるわけですけれども。
 これどうしてかというと、今、先生がおっしゃったとおり、六歳ぐらいまでの間、確かに父親は、私も極力家にいるようにしたし、遅く帰ってもともかく朝は一緒にいるとか、それから土日は必ず遊んでやるとか、そのうち次々子供が生まれると上の子が下の子の面倒を見るというので、お金もなかったんで小さなうちに住んでいた、社宅に住んでいたんですが、しょっちゅう家族六人がごちゃごちゃに住んでいますと、何となくそんな雰囲気かなというので育ったんで、子供がいる家庭というのは極めてノーマルで、早く結婚して早く子供が生まれたのかなという感じがしますけれども。
 そんなこと、余り個人的なことを言っちゃいけないんですけれども、そういうことも一つのヒントになるんじゃないか。政治家とかなんとかというのは、何々をすべきだと言って自分は何にもしないというのがいますけれども、実際に子供を産み、育て、そしてその子供たちが早く結婚し、また早く子供を産むというのをたまたま経験しましたので、御参考までに申し上げたいと。もう小川参考人がおっしゃったのは物すごくヒントになると。父親の存在、子供たちと一緒にいる、家族が楽しいという雰囲気を子供のころから味わわせてあげるのが大事だということ。
 それから、最後になりますけれども、そこで子供を育てて、娘が二人いるんですが、二人とも結婚をもちろんして子供もいるわけですが、もちろんというのは余計ですね、結婚して子供がいるわけですが、私は女性がある特技を持ったならば何とか仕事を続けさせたいと思ったわけです。下の娘はドクターを取ったわけですが、今は結婚して子供二人目なんですが、大学の方に勤めているんですが、教師をやっているんですが、二人目の子が生まれて二カ月でもう職場で早く戻ってくれというので戻ったわけです。
 保育園もいろいろ探したんですけれども、なかなかいいところがなくて、結局これは高齢社会とのセットで考えるといいんじゃないか、つまり孫の面倒を見ると。高齢者は元気ですから、ぶらぶらしていないで孫の面倒を見る。そうすると、その息子とか娘とかは仕事をやって帰ってきたならばマザーリングもちゃんとできる、ファザーリングもできる。こういう高齢者の活用、それができるような、逆に言うと、さっき八代先生がおっしゃったような都市部での住宅に対する助成、遠い郊外じゃなくてというのにつながると思うんですけれども、いかがでしょうか。
 ちょっと長くなった質問で、済みません。

○参考人(八代尚宏君) お答えさせていただきます。
 まず、第一の御質問に関して、このグラフの右側の上がっているところの因果関係は何かということなんですが、これも非常に難しいんですが、一つの上昇を説明する要因にジェンダー指数というのがありまして、これはきょうは持ってきておりませんが、男女共同参画白書に載っております。つまり、女性が働きやすいというか男性と女性が割と平等な国ほどこういう、当然ながら女性の就業率が男性に比べて高くて、それがたまたま出生率も高い国であるということが言えるのではないかと思います。
 これは、先ほど私が申しましたように、子供というのはぜいたく財であって、もし可能であればできるだけみんな欲しいということの一つのあらわれではないかと思われます。ただ、それをするためには、単に、単にと言いますか、男性の方の働き方の自由度というのも大事なわけでありまして、今、加納先生がおっしゃいましたように、父親が子育てを手伝うというのは、手伝いたくても今のサラリーマン社会ではなかなか難しいわけであります。超勤が当たり前である、また転勤というのが人事部が一方的に決めるというような形で、働き方の選択肢が極めて乏しいわけであります。それを拒否したらもう出世はできないという、非常に人生についての包括契約というか、企業のために専ら働けばそのかわり企業は労働者の面倒を見るという包括契約の世界でありまして、米国のように、その時々の短期契約を更新していくというような自由契約の世界ではないわけであります。
 したがって、非常に、その枠に定まった働き方をしていればそれはそれでいいんですが、それは結局女性が家庭にとどまり男性が働くという固定的な役割分担ですね、それになっていればいいわけなんですが、そこから外れようとすると物すごいコストがかかってしまうというのが最大の問題点でありますから、逆に言うと、そういう働き方の選択肢をもっと広げられるような弾力的な雇用契約、雇用慣行というのが一つの因果関係ではないかと思います。
 それから、もう一つがやはり家族の選択肢でありまして、これは働き方の選択肢のちょうど裏側であります。婚外子の問題をおっしゃいましたけれども、私は、だからといって日本で婚外子の差別をなくしたからそれで済むかという問題でもないかと思います、それは当然なくすべきでありますけれども。
 そもそも婚外子という概念が、私は北欧ではないと思います。いろんな人にも聞いたんですが、それは結局結婚の届けをいつ出すかというタイミングの問題だけであって、日本では子供が生まれる前に当然出す、スウェーデンでは子供が生まれてから出すといいますか、そういうようなタイミングの問題であって、どっちにしても安定した家族の中で子供が育てられるというのは別に日本と変わらないわけで、逆に言えば、結婚届なんていうのはその程度のものだと考えている。
 それは、結局女性の経済的地位、社会的地位が十分確立していますから、結婚というのは純粋に愛情の問題であって、別に日本とか途上国のように、夫に経済的に依存しているから結婚届という形で専業主婦が守られなければいけないというような保障が必ずしもそういう北欧の国では必要とされていない。したがって、子供が生まれてからようやく届けを出すんだと。そういう意味でいわば時限的な婚外子という状況があるんだとすると、それは日本の婚外子とはかなり似て非なるものであるわけですから、そこはもう少し家族の選択肢というところが、自由度がはるかに高いんじゃないかと思われます。
 私は、家族の選択肢が非常に日本では乏しいということの背後には、これは別に家族だけではなくあらゆる分野にしみ込んだ日本の規制の思想というのがあると思います。つまり、政府が国民を守ってやらなければいけないんだと。国民を規制で守らなければ、国民は自分で選択したら必ず自分自身にとって損になるような選択をしてしまう。だから、例えば先ほどの夫婦別姓選択なんかを認めたら、家族のきずなが弱まって結果的に自分たちに損になることをしてしまう、だから政府が規制で守るんだと。
 この考え方を基本的に改めなければいけないんで、やはり国民は、たまには間違うことがあっても、基本的には自律した判断というものが、結果的に自分のために何がいいかということはわかっているはずだ。政府の方こそ規制の失敗というのがいっぱいあって、過去の時代にあった規制をいつまでも続けているがゆえに新しい時代に合わないような障害がいっぱいあるわけで、そういう規制の思想をやめるということが、後からおっしゃいました高齢者の活用にもプラスになるんじゃないかというふうに思っております。

○参考人(小川直宏君) お答えいたします。
 首都圏ですと、父親が子供と過ごす時間一日三十七分というぐらい、お父さんも忙しいし、子供も塾へ行って忙しくて、なかなか触れ合う時間がないというところが一つの都市の問題で、ますますそれが少子化にかかわっていて、ちなみに日本で一番出生率が低いのは目黒区だそうで、合計特殊出生率〇・七という話を聞きましたけれども、そうかと思うと沖永良部島の方は五人を超える出生力を持っていて、一家の世帯所得は平均所得が二千万を超えているらしいんですけれども、花やなんかいろいろ売って豊かな環境で伸びやかに子供が育てられれば産むのかなという感じはいたします。
 少なくとも、やっぱり家族というのが中心になると思いますけれども、私は先ほど老人が一緒に住めば面倒を見てくれていいじゃないかという、いわゆるビルト・イン・チャイルド・ケアといいますか、同居することによって保育園がわりをやってくれるんではないかと。
 実際にデータで計算してみましたら、実際には女の人にとっては同居するというのはギャンブルの傾向が非常に強くて、データ的には、九〇年のデータから計算してみたときには、子供を一人持つと女の人がフルタイムで働く賃金が一二%落ちます、これはフルタイム賃金、時間給が。で、子供、おじいさん、自分の親を介護すると、十カ月介護するとやはり一二%賃金が落っこちちゃうんです。
 私の言いたいのは、子育ても老親の介護もほぼ同じぐらいの経済的なインパクトがあるので、育児休業制度とかという形で育児それから介護休業というのはぜひ必要だと思っておりましたけれども、問題は介護を、同居することによって確かに保育園効果があるのと同時に、もう一つの要因は三世代という、非常に食べる人の量もふえてくるわけで、経済的な要因で働きに行かなきゃならない部分もありまして、親と同居することによって保育園をやってくれるから働きに出やすくなるのか、または経済的な必要性が、ニーズが高まって女の人が三世代で働きに出るのか、この辺がちょっと両方とも、因果関係がどちらが強いのかというのは決めかねております。
 ただ、最近やりました追跡調査ですけれども、これはまたことしの秋にもやるんですけれども、同じ高齢者にずっとこれから十年間ぐらいにわたって、うちの大学ではずっと、七千人ぐらいですけれども健康調査をしているんですけれども、その人たちの分析をしてみましたらおもしろい結果になっていまして、現在余り脚光を浴びていない、少子化社会というとついこっちの方に目が行っていないんですけれども、三十歳代の女の人でもかなりが育児と介護と両方の板挟みになっているんですね。
 この辺が大きな問題でありまして、今度分析して、来月の国際会議で発表するんですけれども、その日本のデータを分析してみましたら、親、父親、母親が、老親の方がADL、要するに日常、例えばおふろに入るのが大変だとか、食事するのが大変だとか、そういうのを全部スコア化しているんですけれども、我々のところで。それによって、どこで女の人が影響を受けるかというと、そういった日常、老人の人が一つでもアンネイブル、要するにできないという、不能といった項目に行った瞬間に女の人が非常に行動が変わってきています。
 自分の親が少しでもいろんなところで、おふろに入ったり、ベッドから起きたりするのがだんだん困難になると何が起こるかというと、女の人はパートタイムをやめちゃうんです。パートが一番最初にやられます。これは自宅で介護する、そういう形になっていると思います。
 それから、あるところで絶対できない、ふろにも自分で入れなくなって、それはもうだれかが介護しなきゃならないとなると、女の人は、私の予想では、全部、みんなフルタイムで働く人もやめるんではないかと思って、逆に今度は、日本のデータでは統計的な有意性が非常に高くなったのはほとんどの方がみんなフルタイムに行っちゃうんです。働きに出ちゃう。要するに、もう日本の社会の中で同居していてもおふろに入れないというのは、もう本当に入浴サービスとか、そういった外からの外部のサービスを買わないと介護できなくなって、要するに在宅ケアにもかなりプロ的な要素が必要になってくるわけですね、かなり重症になってくると。そういう点で女の人の雇用形態にも、これは一番新しいデータだと思いますけれども、そういうふうな形になっておりまして、私は全部女の人が家庭に戻っていっちゃうんではないか。
 そうじゃなくて、やっぱりあるところまで行くと介護の問題というのは専門性を必要としてくるので、幾ら女の人、男の人もそうでしょうけれども、やっているのは男、女、両方あると思いますけれども、少なくともかなりのところで専門性が必要になってくるというところで、かえって女の人が働きに出て、その分だけ、入浴サービスだけでも一万円一回かかるところがかなりある、それ以上かかるところもあるようですけれども、そうなってくると、月四回とか、そういうのをやると、もう四万、五万飛んでしまう。
 そういったようなことになってくると、やはり経済的に働きに出るしかないんではないかということではないかと思いますけれども、かなりこれは統計的に有意性があるので、明らかに今回わかったのは、パートタイムが最初にやられて、おじいちゃん、おばあちゃんが起きるのも大変、何か大変という状態になってくると、その辺がみんなやめて、在宅で最初は介護してやるわけですね。ところが、ある一定のところの介護の問題が深刻になると、やっぱりもう外からの外部サービスを得なきゃいけない。
 そういう点で経済的な余裕がなくなって、恐らくフルタイムに行くのではないかというような形になっておりまして、そういう点でもう少し少子化を考えるときに、かなりの部分で、今は大体八%ぐらいの女の人ですけれども、介護と育児と両方の板挟みになっているのがデータ的に示されておりますので、そこも見る必要があるのではないかというふうに思います。
 もう一つ、私は、長期的には同居という、家庭というのが非常にどういうふうになるかによって、いろんなところで人口的に、確かに出生率で保育園がわりをやってくれる可能性もありますけれども、今、日本の社会の中で結婚時に親との同居というのが物すごく下がってまいりまして、二七%ぐらいのカップルしか最近は親と結婚時に同居しておりません。それが一九五五年のときには六六%が同居しておりましたので、三組に二組、今は四組に一組ぐらいまでに落ちてしまいました。今、親と同居している、結婚時から親と同居している人が四組に一組ぐらいなんですけれども、そのうちどこがふえてきたかというと、これは妻方と住むカップルでありまして、日本の社会で必ずしも夫のサイドにこれから行かなくなる。妻方のサイドにだんだん行くんではないかなと。
 そういったような、それが意外と結婚に非常に響いてまいりまして、過去十年間で日本の女性が相手にだれを選ぶかというときに所得、そして職業タイプに続いて、第三番目に急上昇してきて十年間で大幅に変化したのは相手の親との同居があるかないかなんです。これが非常に女の人が結婚するときに重要な要素となってきているということで、やはり長男、長女になりますとみんな親をどうしようかということが頭のどこかにあるようでありまして、それも結婚に響いてくる。ですから、今後家族がどういう形態をとっていくのかなということが、家族の変化がやっぱり出生とか、それからこれ極端なことを言うと離婚にも非常に響いていまして、離婚確率が高いのは夫の親と住んでいる場合に非常に高くて、女の人が自分の親と住んでいる人とでは確率が二割違います。ですから、そういった点で統計的に有意性がありますし、明らかに家族の形態がどうなるかによって、出生だけではなくて離婚にも非常に長期的には影響が出てくるのではないかなというふうに思っております。

○山本保君 公明党の山本保です。
 主に八代参考人にお尋ねいたします。
 実は、先回のこの会で私、物すごく大ざっぱな計算なんですけれども、M字型を解消することが特に雇用というよりも社会保障の負担構造に対して大変効果的であるというのを言ったところだったんです。物すごく大ざっぱな計算しますと、あと二十年間ぐらいで若い人が大体八%弱人口が減ると考えられるときに、女性のM字型が男性と同じになると簡単にやりますと、大体二二%ぐらい労働力がふえるんじゃないかということが、これは十分マイナス面をカバーするであろうということを申し上げまして、これはまあ本当に大ざっぱな計算とも言えないような計算なんですけれども、きょうお聞きいたしまして、それに加えてやはりいわゆる女性の所得というのが保障されることによって子育てにもプラスになるというお話は大変参考になった気がいたします。
 それで、そのことに今度は関連してちょっとお伺いします。今、加納先生の御質問にも少し出てきたわけですが、保育制度につきましては実は私ここへ出るまでが厚生省の保育の専門官をやっておりまして、いろんな施策というのは、先生のおっしゃったような施策等を進めてきております。もう一つ、やはり大きなのは雇用慣行でありまして、特に先ほどのようなことを私地域で申し上げましても、今リストラが大変で職がなくなるようなときに女性の職をふやすようなことが一体できるのかと、企業も組合も先ほどおっしゃったようにそんな気がないのに。この辺について先生はどういう見通しというか、できれば楽観的な見通しで結構なんですけれども、というのが第一問でございます。
 第二番目は、これはちょっとだけ私の専門でもありますからあれなんですが、きょうのお話の中にあった中で、バウチャーとか切符制なども出ましたけれども、現実には幼稚園と保育園というのが日本の場合ありまして、保育制度だけさわりましてもなかなか難しいところがあって苦労しておるところなんですけれども。この辺について、幼稚園との関係などについても、きょうのお話にはありませんでしたから結構なんですが、もしお考えがあったら御示唆いただければと。
 それから三番目は、これも具体的な話で、先ほど都市部の居住空間をもっと高いのにしろという、認めたらいいというお話があって、ところが実際選挙区などで高層マンション反対などということが非常にあるわけでありまして、私は、いわば都市を高層化するよりは、今の住宅街と言われているようなところと工業地帯というものが分離していって、その間を鉄道とか道でつなぐという、こういうこれまでの若者型の町からもう少し町全体が職場と仕事というものも、そして商業地なども一体化するような形での町づくりということの方がいいんじゃないかなという気がしているんですけれども、この辺についても何か参考になるお話がいただければと思っております。
 以上です。

○参考人(八代尚宏君) お答えさせていただきます。
 まず第一点のリストラとの関係でありますけれども、これは旧来型の男性が働いて妻子を養うというシステムを前提にしておりますと、女性が働いたり外国人が働くということは当然リストラを促進させる要因になるわけですから、反対が非常に強いというのはある意味で当然の予想されることだと思います。
 ですから、私はやはり働き方自体を変えていくということを、それは結局標準的な世帯、家族というものをどう考えるか。日本で言う標準的な家族というのは専業主婦世帯なわけですね。それは税制も社会保険制度もそれを標準的な世帯と考えてできている。しかし、これは先進国であれば共働きはむしろ標準であるし、途上国もそうであるし、日本もかつてはそうであったわけですね。
 日本もかつては自営業が五割を占めておって、自営業というのは基本的に共働きです。ですから、日本の今の専業主婦世帯という方がむしろ例外であって、これは高度成長期の、人々の所得が実質で一〇%もふえるような夢のような時代に、一部のエリート層でやっていた慣行が普通のサラリーマンまで広がったにすぎないわけで、これは夢が覚めればまた普通の先進国と同じように、世界のグローバルスタンダードというのは共働き世帯なわけですね。
 ですから、今、リストラというのはまさにそちらの方向に向かいつつある。一人の人の賃金で大人二人を養う賃金というのはなかなかもう企業は出せなくなる。企業が出したらそれは国際競争に負けてしまう。これからは夫も妻もともに稼いで二人の賃金で生活をしていく。
 ただ、そのときに、従来の奥さんを持った、専業主婦を持った夫のような働き方を二人ともしたら大変なことになりますから、そのときは当然ながら基本的に超勤はない、それから非常に弾力的な働き方でやるということが前提になるわけで、ですから、逆にそういう共働き世帯というのはリストラに強いわけなんですね。つまり、最初からフラットな賃金体系ですから、そんなリストラの危険性もないし、逆に万一どちらかがリストラされても他方がその間生活を支えられますから、非常に安定的な働き方になる。
 ですから、今のような男性が妻子を養うんだというような働き方に固執する限りリストラはむしろ避けられないんじゃないかという、そういう逆の見方からすることが一つの、説得と言ったらおかしいんですが、方法ではないだろうかと思っております。
 幼稚園と保育園との一元化の問題というのは昔からあるわけでありますが、今、幼稚園が延長保育的なことを始めておりまして、事実上やっていることはほとんど変わらなくなってくる。
 ただ、幼稚園は基本的に民営であります。それに対して保育園は公立と社会福祉法人であります。したがって、どっちの形態がどっちに近づくかというと、私は、やはりこれまでのような公立主体あるいは社会福祉法人主体の保育園というのは維持することが難しくなってきているんじゃないんだろうか。
 これは、基本的に公務員というのは非常にコストの高い労働者でありまして、そのコストにふさわしいような仕事をしてもらわなければいけない。民間と全く同じような仕事を年功賃金の公務員がやるというのは、バスであっても鉄道であっても保母さんであっても、やはりそこは維持できないんじゃないだろうか。そういう人たちが別に解雇されるべきだと言っているんじゃなくて、そういう公務員の人は公務員にふさわしい一種の監督行政といいますか、そういうものに移っていただくことが必要なんじゃなかろうかということであります。
 もし保育所が、もっと企業が保育所に入ってきたとすると、当然問題があるような経営をするところがあるわけですから、私は、今公立保育園で働いている保母さんたちはいわば監視員となって、抜き打ち検査であるとかそういう民間の保育所がきちっといいサービスをしているかどうかを監視する一種の警察的な役割を担っていただくことが必要なんじゃないかと思っております。
 今の保育所行政というのは、認可するときは厳しいチェックがありますけれども、一たん認可されたら後はほったらかしなわけですね。ですから、そうではなくて、無認可であろうが認可であろうが、実際に何が行われているかということはもう厳しい事後チェックというのが必要になるわけで、そのためには人手はたくさん要ります。ですから、今公立保育園で保育の経験の豊かな方は絶好であるわけでして、そういう、規制緩和というのは単に自由放任化することではないわけで、事前規制をできるだけやめて事後規制に変えていくという、そういう意味で、より人手を必要とする部分を担っていただくということが年功賃金にふさわしい公務員の働き方ではないかと思っております。
 三番目の都市部の問題ですが、高層マンションが建てられることに対して住民が反対されるということなんですが、これは多分、今のごみごみした、隣と隣との間がほとんどないような密集地帯に高い高層マンションを建てられたら大変なことになるというのはそのとおりであると思います。
 これは都市計画の問題でありまして、今のような低層で非常に混雑したような住宅を高層にしてその間の広々とした空間をとるというか、それは容積率の、設計次第では十分可能なわけなんですね。そこがなかなか計画的なプランニングができないために無秩序に単に低層住宅の中に高層マンションが建ってしまうと、当然ながら非常に環境が悪化する。ですから、これはきちっとした都市計画の問題であろうかと思います。
 それからもう一つは、やはり住民と住民との利害の調整ということを考えていただかなきゃいけないわけで、私は田舎にどんな住み方をしても構わないと思うんですが、都市部というのは一種の公共空間ですから、昔から住んでいた人だけが既得権を主張して、一切新規の参入者を入れないということはやっぱりおかしいわけで、そこはお互いにきちっと都市部の貴重な公共空間にできるだけ多くの人が住みよい環境の中で住めるというような、利害調整を図るような仕組みにしていく必要があるんじゃないかと思われます。
 工場地帯を活用して職場との一体化を図るというのは私は非常にすばらしい案だと思いまして、それはそれで進めるべきなんですが、やっぱり既存の住宅地も、いつまでも低層住宅のままで山手線の内側が二階ちょっとしか建っていないというのは余りにもむだであるわけで、そこをもっと住みよい居住空間にしていくという余地は十分あるんじゃないかと思っております。

○山本保君 ありがとうございました。

○会長(久保亘君) 小川先生の方もいいですか。

○山本保君 結構でございます。

○竹村泰子君 きょうは両先生ありがとうございました。
 貴重な御意見をいただきまして、特に大変見やすい資料をたくさんちょうだいして大変興味深く拝見しておりましたが、先ほどの八代先生の最後の方のお話にありましたように、結局は個が確立していないという日本の国民的なそういうことがあって、個人がどういう働き方を職場の中でするかという選択もできていないし、それからまた女性がどういう形で生きていくといいますか、家庭の中で、社会の中で位置づけられるかというふうなこともなかなかできていない。そういった意味では非常におくれた社会なのかもしれないと思いますけれども。
 そういうことで、夫婦別姓のような、夫婦別姓に特化するつもりはないんですが、夫婦別姓のようなことすらまだ決められないでいて少子化対策などということはなかなか難しいのではないかというお話がさっきございましたけれども、やはり個がないから家族主義といいますか、家族制度が壊れるというふうな懸念が夫婦別姓に関していえばあるのだろうかと思いますし、何といいますか、女性の側からいいますと、それこそさっき先生がおっしゃっておりましたように選択をするわけで、みんながするわけじゃないんですから、したい、夫婦別姓の制度をとりたい人がすればよいということなので、その辺の日本の社会の考え方の窮屈さといいますか、そういうことがあるんだろうなと思います。
 そこのところを打破するために先生はどういうふうにお考えになるか、もしお考えがあったらお聞かせいただきたいと思いますが。
 それから、小川先生の方にお伺いしたいんですが、東京都では三十九歳から四十五歳の男性の──四十五歳とおっしゃいましたか。

○参考人(小川直宏君) 三十五歳から三十九歳。

○竹村泰子君 三十五歳から三十九歳、失礼しました、の独身率が非常に高いと。そのことの原因といいますか、この調査会の中ではかなりいろんな御意見もこれまでにお聞きしてきまして、男性が女性化しているとかあるいは男性が恋愛力をなくしているとか、さまざま御意見もあったんですけれども、どういうふうにお考えになるのでしょうか。
 もし、そしてその独身率、独身でいたい人は独身を選べばいいと私なんかは思うんですが、特にその年代の独身率が高いということは社会的にどんな影響があるというふうにお考えなのでしょうか、お聞かせいただきたいと思います。
 それから、私たちは少子化で悩んでさまざまいろんなことを国も社会も個人も考えてきているわけですけれども、小川先生は日本人口学会でもいらっしゃいまして、発展途上国では多産で、産み過ぎて人口問題があるわけでありまして、子供の出生率の度合いが文化をはかる基準というふうな言われ方もしていますけれども、そこのところをグローバルな視点でもう少し平準化するといいますか、何かうまい方法はないのだろうかといつも思いますけれども、何か御教示いただければありがたいと思います。

○参考人(八代尚宏君) お答えさせていただきます。
 個が確立していないということが問題だというのはそのとおりだと思いますが、ただそれは何といいますか、そういう前提の政策とか制度を持っていることがなかなか、逆に言いますと個が確立しないという結果も生むわけでありまして、これはやはり同時決定的な面があるかと思います。
 今のように、女性が家庭にとどまらないから子供が生まれないんだ、それが家族を壊してしまうんだという考え方の政策が、私は結果として子供をつくらない、あるいは結婚しないという形での反乱を生んでいて、それが家族自体をつぶしてしまう。つまり、本来は家族を守ろうとする意図でやっている政策が、結果的に意に反して家族をつぶしてしまうんだという、こういうメカニズムをぜひ知っていただくことで、そういう家族主義者の方の理解を得るというのが一つだと思います。
 もう一つは、やはり私は企業の役割が大事であると思います。やはり少子化が進んで労働者が減っていくということは、まさに日本の企業にとっても大変なことであるわけで、それに対して経営者の、総論はもちろんみんな大変だと言っているんですが、個々の企業の中で、それではいかにして、そういう女性が働くことと子育てをするということの両立が大事だということの認識がなかなか得られないわけですね。私は、一つの目安は配偶者手当であって、これはリトマス試験紙なわけですね。配偶者手当をいまだに維持している企業というのと企業業績とを比較してみたら、かなり相関関係があるんじゃないか。やはりそういう個人の能力と無関係のような給与体系を持っている企業というのは、当然ながらほかの分野においても後ろ向きの対応をとっているわけで、当然今の変革の時期では企業業績も悪いんじゃないかと。
 そういうような形で、先ほど言った夫婦別姓選択もそれ自体が一つの象徴であって、リトマス試験紙なわけなんですね。ですから、それすらできなかったらほかのもっと大事、大事と言ったら怒られますけれども、ほかのことすらできるはずがないわけであるわけで、そういう意味で企業の方には、労働者とか、そういう個人の選択を尊重するような人事管理をする、それによって能力の高い労働者を引きつける、それが企業の利益を高める一番いい方法なんですよということをぜひ説得すべきだと思います。
 よく男女共同参画でも少子化でも、これは行政の責任もあるんですが、企業にお願いする姿勢なんですね。非常に御迷惑ですけれども、とにかく男女共同参画をやってください、少子化対策をやってくださいというふうに行政がお願いするのは私はとんでもないことだと思います。
 一番、私はやっぱり男女の働き方の平等化が進んでいるのは外資系企業であって、そこは同時に最も利益を上げている分野なわけですね。ですから、これは企業自身のためにやるべきことで、行政がお願いすることではないんだと。そういう働きやすい環境をつくることによって有能な労働者を引きつける、それによって企業が業績を上げるという、こういうスパイラル、何というか、因果関係というものをぜひ理解していただくように説得するのが一つではないかと思っております。

○参考人(小川直宏君) お答えいたします。
 東京都で三十五―三十九歳の未婚率が二十年間で約四倍ぐらいになって三二%まで上がってきて、恐らくもうじき発表される去年の国勢調査ではもっと上がっていると思います。
 どこまで行ってしまうのかということですけれども、原因というのは、やはり一つは、だんだん出生数が減ってきますと、結婚年齢が三歳ぐらい差がありますので、年下の女の人を見た場合には数が当然少ないわけですね。そうしますと、だんだん少ない数の中から選ばなきゃいけないので、男性はだんだん競争からあぶれていくわけですね。
 もう一つは、東京都の場合には見落とすことができないのは、長距離移動をしてくる男性が非常に高いので、女性と男性と移動後のパターンを見ますと、県内移動は圧倒的に女の人が多いんですけれども、県間移動は圧倒的に男性であります、三割ぐらいの違いがあります。そういう点で、東京都の場合にやっぱり男性と女性が性比が崩れやすいような環境がありまして、移動型社会の悲劇でもあるんですけれども、男性が東京に比較的集まってしまうという問題点もあります。
 もう一つは、先ほどの話に出ていましたように、きょうの状態が続きますと一五%の女性が未婚でありますけれども、男性は二二%将来日本全体でなるというふうに考えられていますけれども、やはり結婚したいという意欲は、アメリカと共通しているんですけれども、日本でも男性の方が強いんですよ、結婚したい。
 これは、女性の方がどちらかというと、結婚を今しないで結構独身生活をエンジョイしたいというニューシングルのコンセプトがあるんですけれども、これは女性の方がやっぱり高くなっていまして、しかもニューシングルの志向が強い女性というのは、決定因子は、都市部に住んで雇用労働、要するにOLですね、それから高学歴というこの要因がありますので、どうしてもそういった人たちが独身志向がますます強くなって、男性のタイミングもおくれてくるという形だと思います。私は基本的にはこれは大問題だろうと思います。
 前の国土庁でやりました首都圏整備のときの機会にも申し上げたんですけれども、長期計画のときに。首都圏がもしもこの状態で未婚率が上昇していってしまうと、来世紀になった場合に、もう今世紀になりましたけれども、家族に優しい幼稚園みたいなようなアメニティーをつくるよりも、独身男性とか独身の人が結構楽しめるようなコンビニエント、コンビニがたくさん建つような首都計画の方が、極端な話ですけれどもいいんではないかぐらい、基本的に長期的展望も考え直さなきゃいけないような、私自身もこのデータを見て初めてびっくりしたんですけれども、すごい勢いでこの未婚率が上昇してきていると。
 これはもう変化率をずっとモデルで計算してみますと、この年齢グループが将来結婚する確率はもうほとんどないんですね。ですから、そうしますと東京都も周り首都圏全体で、あと十年しますと五十になりますから、このグループが、五十の時点で生涯未婚率が計算されますので、非常に十年ぐらいの間に急激に未婚率が上昇するということになるわけであります。
 そういった人たちがたくさん出てきた中で、どういった国民生活の基礎環境を整えていくかということは、これはまだ目には見えていない、生涯未婚率というのは五十歳で大体はかっていますので、まだ皆さんの手元にはそれが見えないでしょうけれども、着々と水面下でその方向に動きつつあるということは頭の中に入れておかれた方がいいんではないかなというふうに思います。
 それからもう一つは、発展途上国のお話が出ましたけれども、基本的には発展途上国のキーワードは、皆さんよく御存じのように、一九九四年の国連の人口推計では、今から七年前の推計では世界人口は二〇五〇年に九十七億に行くというふうに出されましたけれども、それから四年たった九八年の人口推計では八十九億まで、約十億人ぐらいダウンしています。
 わずか四年間の間で国連推計が十億も狂ってしまったという一つの背景には、開発途上国における出生抑制が意外と成功している部分がアフリカで幾つか出てきているんですけれども、同時にエイズもかなり広まっているというダブルパンチで影響が出てきております。エイズはさておき、意外と出生率が下がってきている国がたくさん出てきているという反面、なかなか落ちないで困っている国もあるわけであります。
 そういう点で、今後ぜひ注目しなきゃいけないのは、いわゆる九四年のカイロの会議で出されたようなリプロダクティブライツという、女性が今産みたいときに産みたいだけの数の子供をつくる、そういう環境づくりですけれども、女性の独立、いわゆるエンパワーメントと言っていますけれども、女性の能力強化、これを世界的に進めているわけですけれども、その基盤になるのがやはり教育であろうということで、二〇一〇年までに目標を立てて教育水準を上げるというのが、昨年でしたか、七月の国連の特別総会で承認されましたけれども、やっぱりヒューマンキャピタル、人的資本を充実することによって女性が自立できるように、そして女性がみずから産みたいときに産めるだけの数の子供を産めるようにすれば出生率はやがて下がっていくだろうという、そういう方向が今とられているわけでございます。
 そういう点で格差があって、文化の水準をあらわすとかいろいろありますけれども、文化の水準以前に女性がまず自分で自立できないような、いわゆるいろんな習慣とかそれから制度的な問題もあってなかなか独立できなくて、家族計画に自分で選択できるようなそういう状況がないわけでございまして、もうすべて夫次第という。
 いろんな国勢調査をやっても、パキスタンというような国なんかへ行きますと、もう圧倒的にだれが見ても明らかなように女の人がたくさん働いているのが目に見えるわけですよ、農村でも。ところが、データを見ると二%しか働いていない、女の人が。そんなばかな話はないんで、やってみると、明らかにそういう調査をやったときに答えるのがみんな男性なんですね。だから妻は働いていないと答えるわけです、働いていても。
 だから、そういったようなデータ的な問題があって、なかなか開発途上国の比較研究をするときに難しい問題がありまして、極端なことを、そういう点でパキスタンのような国は、男女が別々のセンサスの調査員が行って妻にも聞かないとデータは本当は正しいデータが得られないというように、もうデータを集める段階でバイアスがかかっているので、なかなか出生の格差、それから文化とかいろんな社会的、経済的な格差というものが正確にまだメジャーできていないんではないかなという感じがいたします。
 ただ私は、一つの今後の動向として、女性が、リプロダクティブライツという考え方が今世界的に広まっていって、これが実現されることによって、いつとは申し上げませんけれども、長期的には出生率がやがて下がっていくだろうというふうには思っております。
 以上であります。

○西山登紀子君 日本共産党の西山登紀子でございます。
 きょうはお二人の先生方、大変ありがたい、いろいろ御示唆に富んだ陳述をいただきましてありがとうございます。この少子化対策、少子化問題についてこの調査会でもずっと深めてまいりましたけれども、私は、いよいよ核心に迫るいろんな調査になってきたんじゃないかなというふうに、大変ありがたいと思っております。
 といいますのは、いろんな少子化の原因、今まで晩婚化、非婚化というようなことにも、現象的にはそうなんですけれども、なぜそうなるのか。しかも、そのそうなる原因が、例えば経済的な要因が非常にベースにあるんだということなんですが、その点できょうは大変私も勉強させていただいたと思います。
 前々回の参考人で清家先生が、少子化の原因というのが、経済発展の結果、女性の女性による子育て機会費用の増大、これが少子化の原因だというふうにおっしゃったわけでございます。
 そこで私は、その機会費用というものの額というのはどれぐらいなのかということでお教えいただきたいというふうに言ったわけですけれども、きょう、その答えを八代先生の方からいただいたと思います。およそ四千四百万円という形で、女性が結婚・出産退職で子育て後にパートタイムで再就職する典型的な場合の女性の生涯所得を正社員のままで定年まで勤務した場合と比較したその逸失所得、この金額が四千四百万円という額になるという統計が紹介されたわけでございます。
 八代先生にお伺いいたしたいと思うんですけれども、この四千四百万円という数字以外に、ほかにこういう女性の女性による子育て機会費用というものがはじかれた統計の数字があれば御紹介いただきたいのが一つです。
 それから、この四千四百万円という機会費用は二十一世紀の日本、今後ふえるのか下がるのか、この見通しはどうなのかということが二つ目です。
 それから、年金の支給開始年齢が遅くなります。六十五歳ということになるわけですが、そうなりますとさらに機会費用の増大というのが非常に重みを持ってくるんじゃないかというふうに思われますけれども、それをどのように考えたらいいのかということ、三つ目です。
 それから、そのままでは困るわけでございまして、この女性の女性による子育て機会費用の増大というものを、私は、将来やっぱりこれは男女の男女による子育て機会費用というふうにしないと、女性ばっかりが損失が大きいということでは、女性はそういう道は選択しないというふうに思うわけですね。ただ、男女で分配したらいいかというとそうではなくて、やっぱりそこは、例えば企業と社会がその点の分配を請け負ってやるというふうにしませんと、これは個人の努力というものには限界があるんじゃないかというふうに思います。
 そこで、これをどうやっていくかということなんですけれども、その対策はどのようにお考えになっていらっしゃるかということで、先ほど小川先生の方からも強力なポリティカルリーダーシップというのが必要だと言われましたけれども、私は、とりわけ今政治が必要なリーダーシップというのは、この点はきちっと制度としてルール化することだと思うので、例えばフランスなんかでは既に男女とも労働時間が週三十五時間ということで短くなっておりますが、そういう点で残業や長時間労働をしなくても男性も育児に参加できる、女性はもちろん両立できるというふうに、まずは労働時間の短縮というのをきちっと制度化してはどうか。それから、女性が出産や育児によって将来的に不利益は受けないんだよ、昇任や昇格上においても受けないんだよということをきちっとルール化すること。
 それから、どうしてもそれでも女性でなければできない出産や育児というのはあるわけでございまして、その期間、やっぱり生活保障、賃金保障というものをきちっと制度として、社会的な制度としてきちっと確立するという、私はそういうことがなければ、女性の女性による子育て機会費用が増大するという状況が続くならば、女性はそういうところをやっぱり選択しづらいということになって少子化は歯どめがかからないんじゃないかなというふうに思うわけですが、そういう点で八代先生にお伺いをしたいと思います。
 それから最後にですが、先ほど配偶者手当の問題が出ましたが、私、ちょっとこの点で気になることがございます。就労抑制になっている枠を外すという、こういうことがよく個の確立ということで主張されるわけですね。もちろん一人一人の女性の経済的な自立、個の確立というのは非常に大事なことなんですが、では現実においてどうかといいますと、今非常に失業率が高うございます。若い人の中でもなかなか就職ができません。そういう中で、こういういわゆる扶養家族といいますか、そういうところのいろんな手当というものを全部なくしてしまいますと、専業主婦という名の失業者群が大量に出てしまう、そういう結果にならないか、ならないようにするためにはどういうような対策が必要なのかということについての御示唆がいただけたら大変ありがたいと思います。
 以上でございます。

○参考人(八代尚宏君) お答えさせていただきたいと思います。
 まず、子育ての機会費用、逸失費用ということでありますが、これは私自身が計算したものじゃなくて、平成九年度の国民生活白書に載っている数字であります。この場合の機会費用は、当然ながら結婚・出産退職する前の女性の賃金に依存するわけですから、例えば学歴であるとかそういうものによって大きく違いますので、これを参照していただきますと、幾つかの前提の違いによる数字の違いも載っております。
 これが今後ふえるのかという第二点の御質問について言えば、それは女性の賃金が高まれば高まるほどふえるという問題でありまして、それからもう一つは、パートと正規社員の賃金格差にも依存するわけですね。ですから、仮にパート賃金と正規社員の格差が例えばオランダのようにほとんどなくなってしまえば、ある意味で仮に子育て後に正規社員じゃない形で働いても、そんなに正規社員で働き続ける場合と比べた機会費用は大きくなくなるわけです。
 ですから、これはやはり働き方が変われば機会費用も当然ながら大きく変わるかと思います。一言で言えば働き方の多様化、中途採用機会がもっと拡大するかあるいは賃金格差が縮まるか、そういう多様な選択肢があれば機会費用を下げるということは十分可能だと思います。
 年金の支給開始年齢が上がるということは、これは機会費用のはかり方に依存するわけで、国民生活白書のはかり方はたしか生涯賃金だけではかっていたと思います。そういう意味では、年金の支給開始年齢が上がって、働く期間が長くなれば当然ながら格差は上がるわけなんです。ただ、今の厚生年金は基本的に賃金比例ですから、年金も含めて考えると同じことでありまして、働くときの賃金格差が厚生年金の金額の格差に今のところ報酬比例ベースですから影響しておりますから、そういうふうに年金も含めて考えますと、ある意味で支給開始年齢が上がっても上がらなくても大差がないということになってしまうかと思われます。
 それから、子育ての機会は女性女性というんじゃない、男女ともに考えなければいけないというのは全くそのとおりであるかと思います。
 ただ、ここはひとつぜひ区別していただきたいのは、私は今の少子化というのは明らかに女性の行動に原因があるというふうに考えております。つまり、未婚率が上がってきているのは、先ほど少し小川先生のお話にもありましたけれども、男性と女性では原因が若干違うわけで、男性の未婚率が上がっているのは結婚してもらえないから上がっているわけでありまして、女性の未婚率が上がっているのは結婚しないからであって、そこはやはりどっちにイニシアチブがあるかといえば女性であって、それは女性の高学歴化、女性のよい就業機会の拡大というところに原因があるんだと思います。ただ、それを女性に責任があるというふうに考えるのは間違いであって、それは社会の仕組みの問題であるわけで、男性が働き女性が家事、子育てをするという社会の中で女性が働き出すことによってこういう矛盾が起こるわけですから、そこは社会システムの責任なわけですね。ですから、その原因と責任を安易に結びつけてはいけないかと思います。
 それから、私は、機会費用を減らすために子育て期間中も企業に賃金保障を強いるというのはむしろ逆効果であって、そうなるとますます企業はコストの高い女性を雇いたくない。幾ら法律で規制しても、いろんな裏の手段をとって実質的には女性を忌避する形になるんじゃないかと思います。
 私は、要するに働けないときの賃金保障、賃金がなくなるというコストは生涯コストを考えた場合はどっちかといえばわずかであって、むしろ、もう一度、子育てが終わってあるいは育児休業期間が終わった後パートで働こうというときにさまざまな不利な条件があるという、これを減らすことの方がはるかに機会費用を下げるためには大きな面があるかと思います。
 既に、雇用保険法が改正されまして、雇用保険という形で育児休業中の賃金保障が二五%から今度は四〇%にかなり上がりまして、事実上失業と同じような扱いになっているわけなんですね。これは一つの進歩でありまして、その意味で、私は個々の企業に保障を求めるよりは、そういう雇用保険的な社会的な仕組みで賃金保障をすることの方が女性の採用に対するバイアスを減らすという意味では大きいかと思います。
 最後に、配偶者手当の問題でありますけれども、これは女性が働かなければもらえる手当というのは逆に働くことに対するペナルティーと同じことになるわけですね。そういう意味では、専業主婦という名の失業者をつくっているのが現在の配偶者手当であって、むしろそういうものはなくして、全部、税制で言えば基礎控除の方に振り分ける、あるいは児童手当の方に、扶養控除であればですね。
 それから、企業の賃金の払い方であればこれはベーシックな賃金の方に吸収すべきであって、何というか、賃金というのは基本的に個人の生産性に応じて払われるという原則で、そういう家族をどうするかというのはむしろそれは企業ではなくて社会全体の責任としてそういう制度をつくるというふうに分けないと、企業にその責任を押しつけるやり方は、企業は必ずそれを別の形で押し戻すといいますか、結果的にそういう負担のかかる労働者は不利に扱うという形でいわば対抗措置をとる危険性が大きいんではないかなというふうに思っております。

○松あきら君 本日は、小川先生、八代先生、本当にありがとうございます。
 私、大体質問申し上げたいと思うことはほとんど出尽くしたなという感がいたしますけれども、本当にきょうは大変勉強させていただきました。一々私はひとりで大きくうなずいておりまして、両先生のような方が厚生労働省にいていただいて少子化対策をしてくださったらどんなにすばらしいかという思いでございます。
 私は、まず小川先生に、不妊治療はカンタムの上昇になり得るかと、私自身も実は長い間不妊治療をいたしておりましたので、この点をちょっと詳しく教えていただきたい。
 それからもう一つ、出生対策は五年のタイムリミットという、こういうあれがありましたけれども、これも少し詳しくお教えいただきたいなという二点でございます。
 それから、八代先生、私は本当にいつも前から、山手線の中でもう真ん中の辺は特に容積率を上げて高層化してもっと職住を近くしてというような意見がありましたので、非常にそのとおりだというふうに思ってお伺いしておりました。
 それから、国が保育切符を出すというお話、今すばらしいと思って伺っておりまして、一つは保育切符について少し詳しくお教えいただきたい。
 それから、実は私は、今、西山先生もお尋ねになったんですけれども、私自身やはり長い間独身でおりまして結婚したのが遅かったんですけれども、家族の多様な就業形態に中立的な社会制度が望まれると先生は書いていらっしゃいますけれども、まさに今少しお話しになってくださいましたけれども、専業主婦はいろいろな意味で優遇を受けて、今は私は何と申したらいいでしょうか働いている女性なんですが、働いている女性あるいは独身の女性と専業主婦においてはいろいろな税制上も差があるという、これは働いている女性にするといろんな思いがあるのも事実なんですね。やはりこれを抜本的に社会保険制度、税制を変えていかなければいけないんじゃないかなという個人的な思いがあるんです。その二点、お答えいただきたいというふうに思います。
 以上です。

○参考人(八代尚宏君) 不妊治療の件は小川先生の方に御質問されたと思うんですが、私も一言だけ。
 これは今の医療保険制度の問題でありまして、今の医療保険制度というのは、病気にならなければ、けがをしなければ一銭も出ない。ですから、不妊治療だけではなくて予防にも出ないわけですね。ですから、もともと医療保険というのは本来健康保険であるわけでして、不妊であるということもやはりある意味で別な言い方をすれば何かの形で健康でないわけですから、これもやはり保険の対象に入れるという形で、厚生省は少しでも医療費を抑えたいということから少しでも範囲を拡大することは絶対反対なんですけれども、しかしこういうポジティブな意味の治療費というものは本当は拡大するというのが本来の健康保険の思想ではないかと思われます。
 保育切符に関して言えば、これは実はすばらしい例があるわけでして、それは介護保険なわけなんですね。介護保険も、もともと高齢者の介護を今の保育所と同じような公的福祉でやっていたわけなんですが、それが余りにも消費者の選択肢を阻んでいるということから、あれは切符ではありませんが、事実上要介護認定を受けた人が一定のクレジットを受ける、そのクレジットを、民間の業者であってもあるいは社会福祉法人であっても、事業者の経営形態を問わず使うことができるという形になったわけですね。あの介護保険と全く同じ発想で、別に保険という形態はとらなくても保育政策をするということは十分できると思います。
 厚生省に言えということですが、これはもう私は規制改革委員会で過去三年間これは言い続けているんですが、何が保育切符に対する反対論かと申しますと、結局二つありまして、一つは、今の保育所であれば、公立保育所であれば保育所側が個人の必要度に応じて優先順位を決められる、しかし切符にするとそれができなくなる、これが第一点であります。これに対しては、切符にしたってできるやり方があるわけですが、それはまさに介護保険の要介護認定と同じように、個人の必要性、例えば母子家庭であるとかあるいは所得水準であるとか、そういう差に応じて保育切符の量を変えればいいわけであるわけで、何も一律にする必要はないわけであります。
 二番目の反対論は、まさに消費者が選択するということ自体に対する反対でありまして、親が必ずしも自分の子供のことを本当に考えているかどうかわからない、親の都合で子供を預けるような人たちがたくさんいる、それをチェックするために行政が本当の意味で立派な保育所とそうでない保育所を区別して、認可することで補助金を出すんだと。いわば規制と補助金が一体になっている仕組みだから保育切符なんかとんでもないという考え方であります。
 ですから、同じ厚生省の中で一方は介護保険を推進しながら保育関係ではそれと反することをしているわけで、これはまさに消費者主権ということをどう考えるかという考え方からきているギャップなんですけれども、私は、確かに親の判断だけがいいかというのは、完全に任せていいかどうかは別でありますけれども、きちっとした情報を与え、それからコンサルティング機能を備え、それから、ある程度行政がもちろん認可の、何というかスタンダードは決める。今の無認可保育所も実は無認可として認可されているんですね。それは非常に変な言い方なんですが、補助金を出していないという中で、劣悪な施設はもともとは営業停止になっているわけですから、無認可として認可されているところにもとにかく一定の補助金は出すべきじゃないか。
 ですからそこは、過渡的な措置としては今の認可保育所と無認可保育所で保育切符の量を変えてもいいわけなんですが、そういうある程度妥協してでも、とにかく個人が補助金をもらうことによって、施設だけに集中するわけではないんだと、そういう消費者の選択肢を広げることで保育所間の競争をもっと促進させる、それによってよりよいサービスを提供させるというねらいを、ちょうどまさに介護保険と同じような思想でやっていただきたいというのが私の保育切符のイメージであります。
 税制の問題は、実は配偶者控除の問題よりも一番大きいのは社会保険の問題で、先ほど少し申し上げましたが、国民年金における三号被保険者の問題と健康保険による被扶養者の控除の問題が、女性の働き方に応じて一方は非常に手厚い保護をし他方はしないというギャップを生んでいて、これが最大の社会保険改革の争点になっているんですが、残念ながら、そういう審議会に出られる委員の方は女性を除けばほとんどが専業主婦を持っておられる方で、逆に言うとそういう既得権といいますか、そういうものがなくなることに対してやはりかなり反対が大きいんじゃないか。
 しかし、私は逆に言うとこれは今の社会保険制度を考える根幹にかかわる点であって、今の年金でも医療でもこれだけ財政が逼迫している、財政が逼迫しているときにもっと保険料を上げろということには限界があるわけで、それに対してはやっぱり課税ベースを広げるということが一つの考え方である。今払っていない人に払ってもらうということでありまして、この最大のターゲットはやはり今払っていない専業主婦層であります。
 これは、専業主婦に払えという言い方は実はおかしいんで、専業主婦を持っている夫に払えということであるわけです。何となれば、国民年金の考え方というのは、やはり専業主婦といっても、所得はないけれども事実上生産活動には貢献しているわけですね、夫を通じて。そうであれば、その働きに見合って年金を、受給権を与えるというのは当然のことであると。ただ、それをだれが与えるべきかといえば、一番専業主婦に感謝している夫が負担して払うべきであって、他の共働きとか独身の人に自分が感謝している奥さんの年金の給付を負担させるというのはやはり筋違いではなかろうか。
 現に、かつての国民年金の任意加入が認められていたときは七割の方がみずから保険料を負担して払っていたというふうに厚生省の数字であるわけでして、そうであれば、なぜそういうふうに、大部分の夫は自分の妻のために保険料を払ってもいいとかつては思っていたわけですから、それを無理やりただにしてしまうのかと。
 ここはいろんな政治的な妥協があった結果かと思いますけれども、本来はやはり保険料を負担して給付をもらうというのが社会保険の考え方であるわけですから、そこはやはり、苦しくて二人とも働かざるを得ないような貧しい人たちが自分できちっと保険料を払っているんですから、どちらかといえば平均的に見ると所得水準の高い無業の妻の方が払っていただくことは決して社会的な公平性から見てもおかしくないわけで、それはしかも課税ベースを広げて安定した年金制度とか医療保険制度をつくるためのかぎになるわけでありまして、これは少子化対策と少し離れましたけれども、住みよい社会をつくる一つの柱としての社会保険制度の安定性ということにも非常に私は重要な点ではないかと思っております。

○参考人(小川直宏君) お答えいたします。
 不妊治療のことは八代先生がもうある程度お答えになったんで、そういう問題があるんですが、ただ基本的には、ほかの勉強会で研究したときに、お医者さんの集まりだったんですけれども、一〇%ぐらいの人が不妊症の傾向が見られて、そういう人たちがすべて希望どおり産むことができれば出生率はかなり、一〇%は最低上がるわけで、それがもう後はコストとの問題で、どのくらいコストがかかるかという、それを国が果たして認めるか認めないかというそういう決断が迫られると思います。あと技術も大分よくなったというお話を聞いておりますので、さらに技術進歩が見込めればこれはかなり有効な手段になるんではないか。
 先ほど申し上げましたように、出生の変化というのは、所得効果とそれから八代先生がおっしゃられている機会費用というより価格効果と、この二つが常にあるんですね、社会の中で。どちらが強いかという問題で、その機会費用というよりこれは価格の問題です、何を失うかという問題ですが、そういうものと、それから所得、どのくらいお金が手に入って物を買えるかという所得効果と、二つが常に決定因子になって出てくるんですけれども、局面局面で失う機会費用の方が強く働く場合と所得効果が強く働く場合があるわけですけれども、バブル期のときになぜ出生率が下がったかというと、やはり機会費用が非常に高くなった、女性にとって失うものが非常に大きくなったんですけれども、最近やっぱり経済がこんなに不況になってくると所得そのものが問題になってきて、所得の将来の見通し、所得効果がどちらかというと問題になって出てきたというのが現状だと思います。
 もう一つ、五年のタイムリミットの話になりますと、ちょっと五年のタイムリミットというのは何で言ったかというと、これは出産適齢期の女性が六百万人台を維持できるのもあと五年しかないんで、それから後はもうどっと直線的に減っていっちゃうんですね、日本の場合に。そうしますともう出生、別にこの人たちに産まなきゃいけないとかそういうことじゃなくて、純粋に人口の数をある程度維持しようというもうそれだけの問題、別に他意はないんです。そういうことだけを考えた場合には、まさに政策的に今がタイミングにとっては一番いい時期で、女性にとっては迷惑かもしれませんけれども。
 ただ、あくまでも計算の上なんですけれども、数では間違いなくこの六百万台を維持できるのは二〇〇五年から六年までしかないんで、もうそれから後はずっと直線的に下がっていきます。そうしますと本当に人口の規模が縮小していってしまうという可能性が極めて高いんで、何とかその間にできるだけ数を維持しようと思えば今が、五年間の間に何とか手を打たないと後は直線的に下がっていくということであります。
 それで、ここの絶好のチャンスを、今、ある面ではプロ野球でいうとツーアウト満塁九回同点というチャンスで、ここで一発ヒットが出ないと後はもうどうにもならないような状態まで本当は日本の出生数は追い込まれているのかもしれませんけれども、ここで何とか皆さんヒットが出るように政策的に考えていただきたいというのが趣旨で五年のリミットと言ったわけであります。
 以上でございます。

○久野恒一君 自由民主党の久野恒一でございます。
 本当にきょうは、小川参考人の方、また八代参考人の方のお話を聞いて、私、本当に、加納先生ではないけれども、目からうろこが落ちるような思いで聞いておりました。と申しますのは、私は今まで間違った考え方を持っておりまして、いわゆる少子化対応に対してはむしろ高齢者の方を手厚くした方がいいんじゃないかなと、そういうふうに社会保障全体を考えてですね。社会的な安定というものは政治的な決着でつけるべきだとお二人の先生方はおっしゃっておられましたけれども、いずれにいたしましても、それを聞いていれば聞いているほど本当に自分の考え方が違っていたんだなと最初に思ったんですけれども、わけがわからなくなってしまいまして、こんがらがっちゃって一体何を質問していいかわからなくて困っている次第でございます。
 既に西山先生あるいは松先生からも年金の問題、社会保険の問題、こういう問題を私も質問しようと思っておったんですけれども、問題が出てしまったもので、そこでもう一つ踏み入って、これは私の個人的な考え方を述べさせていただいて、それがいいのか悪いのか、御判断また御示唆をいただければありがたいなという気持ちでもって質問させていただきます。
 私は、まず基礎年金を今の額よりも、今、八代参考人の方から払ってもらっていない人に払ってもらうんだと、そういう基本的なものが必要なんではなかろうかなと。介護保険がまさにそのとおりでございまして、四十歳以上の国民すべてから取っちゃうということでございますから、第三号被保険者からも取っちゃうわけでございます。そうなりますと、そういう考え方でいきますと、やはり私は、六十歳以上の人はもう六十歳で満額の年金をもらう、一定額ですね。ちょっと後でもってまた話を進めますけれども、満額の保険をもらって、年金をもらって、そして六十歳過ぎてからも年金を掛けてもらう、社会保障費を掛けてもらう、こういう考え方が基本的にございます。
 どういうことをやっていくかというと、例えば具体的に六十歳でもって、今の基礎年金ではどうしようもございませんから、それを十万なら十万に上げる。今のベースですね、十万に上げて、そして六十歳でもらって、それ以降、やっぱり若いころと違って働く能力というのは、個人差がございますけれども、その人なりに六十歳を過ぎればがたが来始めるわけでございまして、これは自分の体で証明しているわけでございますけれども、がたが来始めております。
 そういう意味ではフレックスタイムでもって働いていただいて、ある一定の金額、今だったら月に十万ぐらいだったら年金には影響がないよということでございますけれども、たとえ十万でもその半分は出してもらう、社会保障費の方に回してもらう、そういう形でやれば、もう国民二十歳以上の方から全部、死ぬまで年金をもらっちゃうわけですね、そういう方法でいいのかどうか。財源のとり方の問題でございますけれども、個人的に考えておったわけでございます。
 それでよろしいのかどうか、ちょっと参考に教えていただければありがたいなと思うわけでございますが、両方の参考人の方に御意見をちょうだいしたいと思います。

○参考人(八代尚宏君) お答えいたします。
 少子化の問題と高齢化の問題はまさに一体でありますから、少子化が進むことによって相対的に高齢者の扶養負担みたいなものも膨らむわけでございますね。そのときに、やはり年金制度あるいは医療保険制度を安定させるためにはできるだけ多くの人に払ってもらう、そのときは第三号被保険者だけじゃなくて高齢者でも収入のある人にはできるだけ払ってもらうということは非常に大事だろうと思います。
 一点、ちょっと細かい点で恐縮でございますが、介護保険でも四十から六十四歳というのは医療保険にオンしておりますから、やはり専業主婦の人は払っていないんですね。専業主婦の人も払っているのは六十五歳以上であって、これはあらゆる人に一律に負担がかかるわけなんですが、それが実は、改めて介護保険ができたときになぜ専業主婦は払わないんですかということでまた問題が起こっているわけでございます。
 それは別でございますが、私は、やはりこれからの高齢化社会というのはエージフリーという、横文字で恐縮ですが、日本語で言いますと年齢不問社会といいますか、個人の年齢を無視するような社会でなければいけない。これは、ジェンダーフリー、つまり性別を無視するのと全く同じでございます。つまり、個人として収入のある人は税金とか保険料を払っていただくという思想でなければ、高齢者が人口の四分の一とか二〇五〇年には三分の一になるわけですから、そういう社会はもたないわけであります。
 しかし、今の社会保険の考え方は、当然ながら、年金をもらっていて保険料を払うというのは矛盾だということでそれはだめですし、医療保険も、例えば七十歳以上になると保険料は払わないという形になってしまう。そういう非常に年齢に依存した社会制度になっていて、年齢に依存した社会制度で高齢化が進むと非常な矛盾が起こるわけですね。ですから、これは今後の高齢化社会というのは、個人の年齢と無関係な社会制度をつくるということが一つの安定性の基本になるんじゃないかと思います。
 今、久野先生がおっしゃった高齢者から収入がある限り死ぬまで保険料を取る仕組みというのは、実は今問題になっております基礎年金の税方式という考え方と同じでありまして、消費税で取るか所得税で取るかは別でありますけれども、まさに所得のある限り保険料を払っていただく、それによって高齢化社会でも安定した社会保障制度を維持するという考え方に近いかと思います。
 もう一つの高齢化社会の考え方というのは、私は高齢者が高齢者を扶養する、つまり豊かな高齢者が貧しい高齢者を扶養するという仕組みをビルトインする必要があるわけでして、これはどんどん少なくなっていく若い世代がどんどんふえていく高齢者世代を養うという仕組みが実は非常に社会保障制度の危険性を、リスクを高めている大きな要因ですから、もし豊かな高齢者が貧しい高齢者を扶養すればその負担はかなり減るわけですね。これは具体的には年金課税でありますし、年金所得の総合課税化でもあります。
 つまり、今の年金というのは賃金の後払いに近いわけでして、厚生年金というのは報酬比例ですから、いわば高い賃金をもらっていた人ほどたくさんの年金をもらえるわけですから、そういう人たちにはやはり応分の負担をしてもらわなければいけないんじゃないか。問題は、やはりまさにそういうような形で高齢者世代の中の所得再分配機能を強化すれば、逆に言えば世代間の再分配はそれだけ少なくて済むわけですから、そういうような仕組みをするということが高齢化社会でももつような社会保障制度の基本ではないかと思います。
 残念ながら、この考え方は高齢者はいまだに一律的に貧しいという思想に阻まれていますけれども、これは今の高齢者の方はそうでありますけれども、団塊の世代が高齢化した暁は決してそうではないわけでして、高度成長期に専ら所得を稼ぎ、たくさんの貯蓄をし、報酬比例年金でたくさんの年金をもらえる人たちですから、団塊の世代が高齢化した暁には私は高齢者に応分の負担をしてもらうということは決して社会的な公正に反することではないんじゃないかと思っております。

○参考人(小川直宏君) お答えいたします。
 私の考え方は大体八代先生のとちょっと延長線上にあるんですけれども、お手元の資料のパネルの四十一をちょっと見ていただきたいんですけれども、ここにちょっと計算してみたんですけれども、これは日本の社会は年齢中心で、いわゆる年齢を中心にしていろんなものは決まってくるわけですけれども、二〇〇〇年でちょうど日本の人口の高齢者が一七%になったので、江戸時代から見て考えてみても、将軍吉宗の時代にちょうど侍を支えたのが大体農工商で、侍のグループが家族を入れまして一六から一七%あって、その辺が限界かなという、ある程度恣意的な考え方なんですけれども、もしも一七%だけの高齢者を老人というふうに、私はエージフリーとは言いませんけれども、エージの考え方を変えようという、この一七%だけの負担率と考えていった場合に、何歳を高齢者として呼んだらいいかという計算をしたのがパネルの四十一でありまして、二〇二五年に七十三・八歳、ここまで要するに二十五年間で老人の定義を八歳変えるとずっと一七%で高齢者の割合が移行できるという、こういう負担の発想の転換が重要であって、私は年功序列の社会から健康序列の社会へと移行すべきだというふうに考えております。
 これは、年金のもらえる人もやっぱり幾つかのマーカーをつくって、健康の、健康指標とかそういったもので本当に必要な人だけに社会保障を与えていくような、年齢ではなくてそういった、エージではなくてヘルスといった、そういったものを中心にして、何かその辺はこれからつくらなきゃいけない指標でしょうけれども、エージを捨てて、エージも一つの要因に考えるにすぎない、エージがすべてではないという社会をつくっていかないと、私が一番最初に申し上げましたように、一九四七年から五七年、十年間で日本の出生率は人類史上初めて半減したわけでございますので、今世紀、人類史上初めての高齢化社会が出てくるというのはそこからうかがえるんですけれども。
 さらに、私が恐れるのは、パネルの四十の数字でございます。これは世界にこのデータしか世界じゅうでないんですけれども、これは毎日新聞社の人口問題調査会、ずっとやってきた調査ですけれども、同じ質問を過去三十年から五十年間ぐらい聞いております。これは五十歳未満の女の人に世論調査で聞いているんですけれども、あなたは子供に老後を期待しますかというと、ブルーの線を見ていただくとわかるようにほぼ直線的に下がってきています。特に急激に下がったのは、国民皆保険が、社会保障制度が充実したときにどんと下がっています。
 こういうように、家族の反応が社会制度によって反応する一つの具体例なんですけれども、ほぼ直線的に子供に対する期待感は変わってきたんですけれども、問題は上の方の赤い線でありまして、あなたは年をとった親を面倒見ることをどう思いますかというときに、ずっと六三年から八六年までほぼ横ばいで、八割の日本の女性が自分の年とった親を面倒見ることはいいことだ、「よい習慣、当然の義務」と答えてきましたけれども、八六年を境に八七年で、これはもうデータが間違った、サーベイが間違ったかなと思うくらいに急激に下がりまして、そこから後どんどんと低下しております。東京オリンピックのころには八割方、これがずっと八割方の女の人が支えることはいいことだと言ってきたわけですけれども、現在では四二%まで落ち込んでおります。これほど価値観が変化する。
 私は、きょうはずっと皆さん、人口、数という話をしてまいりましたけれども、日本の社会には本格的な高齢化論はないというふうに私は思っております。現在まで、日本のマスコミを中心にして必ず出てくるのは、何人で何人を支える社会という議論しか出てきておりませんけれども、こういう価値観の変動、特に老親介護、こういったものの価値観の変動を、変化を加味した高齢化論というのは日本の中にまだ存在しておりません。
 そういう点でこれから政治がやらなきゃいけないのはこういった価値観の変化、人口の変化はもう読めちゃっているんですね、もう生まれちゃっていますので、ほぼ、ほとんど。ですから、わかってしまった人口の変化に加えて価値観の変動を踏まえた議論をしないと本格的な高齢化論にならないんではないか。そういう点で政治の場で、数だけではなくて、何人で何人を支える社会ではなくて、どういった高齢者をどういった人が支えるのかという、そういうハウ・メニーではなくてホワット・カインド、どんな種類の人がという、そういう議論展開が今後必要になってくるんではないかなというふうに思います。
 もう一つ、介護のことでついでに申し上げたいのは、パネルの三十二、三十三、三十四、三十五というふうにブルーの色の地図がありますけれども、これを見ていただきたいんですけれども、これは家族による扶養能力をはかったものであります。
 これは四十歳から五十九歳の女の人が、六十五歳―八十四歳に対する数ですけれども、これは何かというと、六十五歳から八十四歳の人が分母でありますけれども、これは年とった方が若いころに産んだ女の子の数です。これは女の人が介護をするということじゃないんですよ、誤解してほしくないんですけれども、現状ではやっているんですね。これがもしもこんなことが起こったらどういうふうになるかということを示しているだけでありまして、一番最初のパネルの三十二は一九五五年の状態であります。これは日本全国三千四百の市町村、全部点で埋めていったものであります。三千四百の市町村を全部見ていきますとほとんどが黄色かまたはグリーンでありまして、それは老人、お年寄り一人に対して女の、そういう娘さんが一人いた、そういう時代であります、これが五五年。それから、下が七五年ですけれども、ぼちぼちと黄色いのがふえてきまして、黄色はまだ安全圏でありますけれども、次の三十四を見ていただきますと、九五年でありますけれども、どっと変わっております。
 次に、パネルの三十五は二〇一〇年そして二〇二五年という、こういうパネルを見ていきますと、黒はもう〇・五を切っておりまして、二〇二五年にはある市町村、これは熊本県で出てくるんですけれども、ある自治体でお年寄り百人に対して介護してくれるこういう世代が六人しかいないんです。こういったところが全国至るところに出てきてしまうということ、これはこの数値は絶対に当たります、生まれちゃっていますので。
 こういったことを考え、そして価値観の変化を考えていくときこそ、まさにこれがもう政治がぜひ取り組まなきゃいけない数値だと思います。そういう、ほとんど人口学の場合には高齢化社会は選択なき社会なんですね、もう生まれてしまった人が高齢化社会をつくっていくわけで。
 皆さん、お手元の資料のパネルの十八と十九を見ていただくと、これは日本の今までの出生数の数の変化をあらわしているものでありますけれども、これは十八は生まれた数がずっと出てきているんですけれども、そのパネルの十九、下を見ていただきますと、九十度回転させているだけなんです。これは何でこんなふうにしちゃったかというと、私が申し上げたいのは、生まれてきた子供の数、出生数そのものがパネルの十八ですけれども、を九十度下にくっと回転させると十九が出てまいります。十九は、これは人口のピラミッドであります。要するに今まで、今はほとんど死にませんので、生まれてきた子供の形がそのまま来世紀、人口のピラミッドを形づくる、すなわち高齢化社会というのは選択なき社会なんです、人口学的に。
 ですから、そういう中で価値観の変化、そしてそういった全国の先ほど自治体全部を三千四百について点で色をつけていった、こういう研究の形を見ても、成果を見てまいりますと、本当にまさに、先ほどから申し上げますように政治的なリーダーシップを問われる、そういう段階に来ているのではないかなというふうに思います。
 ただ、私がここで言いたいのは、価値観の変化も激しいので、やっぱりこの辺は八代先生と同じなんですけれども、エージフリーというよりもエージそのものを根本的に変えるような、そういう発想法が今世紀ぜひ必要ではないかということであります。
 以上です。

○久野恒一君 申しわけありません。追加でもって。
 今、小川先生の方から本当に懇切な御説明いただきました。私、実は介護保険の病院あるいは介護保険対応の施設を経営している者でございまして、そういう観点から見ますと、先生のレジュメの中にもありますように、介護制度ですね、家庭における介護能力の限界、こういうものを言っておられますけれども、私どもは、提供する側から見ますとどうしても、これから介護休暇をとりなさい、育児休暇、うちでも二十四時間の、看護婦獲得のためにそういうものをやっております。そういうものをやっておりますけれども、介護提供者側に、専門性に任せる時代が来ますよと先ほどおっしゃいました。そういうふうな観点から見ますと、うちの職員には絶対に休んじゃだめよと言っているんですよ。休むともう老人や何かをお預かりできなくなっちゃうから、点数決められておりますもので。そういう観点からいきますと、提供者側は、うちの職員はもう育児休暇も介護休暇もだめよと、こういうことで言っているわけでございますので、そういう点を勘案して私として余計聞いていてわからなくなっちゃったんですけれども、そういう点をもう一度、そういう提供者側にはどういう立場でもって要求しておられるのか、お聞きしたいと思います。済みません。

○参考人(小川直宏君) 一つは、大変難しい問題なんですけれども、数は限られているわけで、それでいかに最適配分するかという問題だと思いますけれども、私はもう少し日本の介護の面もやっぱり国際的な競争がだんだん入ってくる、日本で今はない以上にいろんなものが出てくると思いますし、最終的にはひょっとすると、先ほどからの議論からいうと、まだ専業主婦でいらっしゃる方は随分いらっしゃって、まだ働きたくても働けないと。先ほどのグラフがありましたけれども、本当に働きたい人に出てもらえばかなりの数になるわけですけれども、そういう点では確保できるかなと思いますけれども、最終的には長期的な展望としてやはり国際労働力の移入ということも少し頭の隅に入れておかないとどうにもならなくなってしまうんではないかなという感じがいたします。
 私は基本的には、大体もう既に人口減り始めている、男性は減っているわけですけれども、それにさらに労働時間数が減少していった場合にはダブルパンチで相当急激に有効労働時間が減っていくわけであります。そうなっていった場合に、日本の労働力の使われ方が根本的に問われるというふうに考えておりまして、いわゆる古い言葉ではありますけれども、適材適所という言葉がもう一回日本でクローズアップされるのではないかと。労働力、数どんどん減っていくわけですけれども、本当に日本のインフラストラクチャーにだれが張りつくかという問題が最終的には問われると思います。
 この数少ない、いわゆる若い方が本当に日本のインフラのために働く、そういったところにつくのか、または極端なことを言えば、もう消防も警察も、そしてごみ集めから全部インフラは外国人に頼ってしまうのか、これは極端ですけれども、そういった問題すら考えなきゃいけないような状況が出てくるのかなという感じがいたします。技術進歩のためには、やはりある程度は若い人には知識集約型産業に行ってほしいし、そういったように労働政策全体、もっとソーシャルエンジニアリングが労働の配分に必要になってくる、そういう状況があるのではないか。
 私は、人生二回就職論というのを前から言っているんですけれども、これは若い層には一回知識集約型産業に働いていただいて日本の技術進歩に大いに貢献していただいて、四十歳になったらやめていただいて、私たち大学、八代先生は違うでしょうけれども、私なんか見ていて、四十歳ぐらいから急に生産性が落ちていますので、四十歳ぐらいになったら違った知識集約型以外の産業でもう一回、大学はそのときがらがらにあいていますので、年金の一年前倒しをしていただいて、知識、充電する期間をみんなつくって、そして第二の人生を出発するというような、この方が生産性、長期的にはトータルとして見た場合ベターではないかというふうに思うわけでありまして、これからは限られた数の労働力をいかに使うかという、これをもう少し考えていく必要があるのではないかなというふうに思います。
 それからもう一つ、最終的に、八代先生さっきちょっとおっしゃられたのですけれども、このデータで地図を見たときに驚かれたと思うんですけれども、皆さん、もう一つ地図があるんです。それは何かというと、老人の老人による老人のための福祉をやろうとなっているんです。これは老人同士の助け合いでありまして、八十歳以上の老人を、六十五―六十九歳、若い老人、それからあと七十五歳から八十の中年の老人とかいろいろ分けて計算するんですけれども、中年の老人という言葉があるかどうかわかりませんけれども、そう分けていきますと、絶望と思われている地域がいろいろあるんですけれども、老人による老人のための介護の指数を見ると、そういうところは絶好調なんですね、数字的には。
 ですから、やり方次第では、私は画一的な高齢化対策ではだめで、地方自治体によって全く違った高齢化対策をつくっていけばかなり乗り切れる部分があるのではないかなというふうに思います。そういった点でもう一回、行政として、または政治の場もそうでしょうけれども、地域ごとに年齢構成をもう一回長期展望の中に考え、もう一回組み込んで、そしてその地域にはどういった政策が一番いいかということを考えていくことが非常に重要ではないかと思いますけれども、まだ地域まで、地方の時代とこれほど言われながら地域ごとになかなか考えた政策がなくて、介護保険というような画一的にばっといってしまうとか、そういうのはありますけれども、もう少し地域に分けて戦略方法を考えていけばかなりの部分で乗り切れるのではないかというふうに考えております。

○久野恒一君 ありがとうございました。

○日下部禧代子君 きょうは、小川先生それから八代先生、大変豊富な資料に基づきまして説得力のある、そして刺激的な問題提起、本当にありがとうございました。
 先ほどのお話の中で、小川先生は地域の年齢構成の問題にお触れになりましたし、また八代先生は日本的雇用慣行の中での問題点の一つとして、職場とそれから住居の距離の問題についてお話しになりました。これは非常に私は重要なことだろうというふうに思っております。
 日本は労働時間が他の先進国に比べて長いだけではなく、さらにそういう職場と住居の距離の問題で、個人の生活空間、時間空間のバランス、個人としての生活もそれからまた地域活動に自分の時間も割けない、あるいはまた家族との一緒の時間も過ごせないというふうな、そういう日本独特の問題点、つまり住みやすくはない、そういう問題点を出しているように思います。
 そういう中で、かつて日本で企業と大学のディスパーサル、中央からディスパーサルということが盛んに言われたことがございましたけれども、これはどうも今何も言われてはおりませんし、これは成功したとは言えないと思うんですね。これはなぜ成功しなかったのかなというふうに私は思うのでございますが、それをもし分析的になぜかということを御指摘いただければというのが第一点でございます。これは両先生にお伺いしたいです。
 それから、第二点も両先生でございますが、例えば新しい町をつくる、ニュータウンづくりというのは、これは一九六〇年代の終わりから七〇年代とか、ヨーロッパなんかでも非常に盛んでございました、私もたまたまそのころおりましたけれども。そこでは、必ず人口構成というものが将来どうなるのかということが職住の問題とともに非常に重要な視点としてとらえられていたように私は理解しております。
 ところが、日本の場合には、先ほど先生方が御指摘くださいましたように、非常に人口構造の変化ということに関して無関心といいましょうか、と言ってもいいほどの配慮がされておりません。それはいわゆる都市計画ということにも関係してくるだろうというふうに、日本の都市計画のあり方にも関係してくると思いますけれども、それと同時に、日本の政策をつくっていく政策の策定のプロセス、そしてあるいはその視点、政策をつくっていく視点、そしてさらには行政のシステムということの問題がかかわってくるんじゃないかなと。
 つまり、一人の人間の生活をトータルにとらえられない、あるいは一生をトータルにとらえられない、そういういわば視点、価値観、先ほど小川先生おっしゃいましたけれども、そういうことも含めましてそれをトータルにとらえていくという政策を形成する仕組みというものが日本には非常にこれは欠けているんじゃないか。言葉をかえると、いわゆる総合的な政策がつくられにくい、簡単な言葉で言えば縦割り行政といいましょうか、そういうことで、いわゆる省庁再編というものが行われたとは思います。しかしながら、果たして、今私が申し上げましたような問題点がそのことによって解消されていくとは、私余り期待しておりません。
 そうしますと、私が考えるようないわゆる縦割り行政の弊害をなくしていく、それで総合的な政策をつくっていくということのシステムを実現するためにはどこをどう突破していくのかと。これはさまざまな問題点はございましょうけれども、時間の関係がございますので、その点、最もこの辺のところをというふうな問題点を御指摘いただき、そしてそれの解決の見通し、どこをどうすればいいかというふうな方策を一つ二つお示しいただけばというふうに存じます。
 よろしくお願いいたします。

○参考人(八代尚宏君) お答えいたします。
 非常に難しい御質問なのでどれだけ答えられるかわかりませんけれども、まず第一点の企業と大学のディスパーサルとおっしゃったのは一極集中化を防ぐという政策ですね、これがなぜ成功しなかったのかということなんですが、私は成功していた時期もあったと思うんですね。それはやはり高度成長期であって、民間企業の投資が非常に活発であった。したがって、鉄道とか道路であるとか、そういう社会資本を引けば、それに誘致されて民間企業の投資が全国に広がっていくという時期もあったと思うんですが、高い成長の時期が終わるとともに、やはりそういう大規模な投資というのが困難になってきた、特に九〇年代なんかはむしろ不採算、非採算的な工場なんかをどんどん閉鎖するという逆の動きが起こったと思います。やはりそれは、都市における集積のメリット、これは生産活動の面でも消費の面でもこれが非常に大きな魅力になっていると同時に、やはり多くの人が集まれば社会資本のコストもそれだけ低くなるということで、それだけ便利なふうになるわけですね。
 ですから、今後の高齢化社会を考えるときの一つの地域的な視点として、これは非常に反発があるかと思いますが、これまでのように人の住んでいるところに社会資本をつくるというやり方はもう限界があるわけで、社会資本のあるところに人に移動してもらうという発想が必要なんではないかと思います。これは、例えば下水道の普及率が日本はいつまでたっても先進国の中で低いと言われますけれども、私はあれは当たり前であって、ヨーロッパでは下水道のあるところに人が住むわけですから、日本のように人が自由にあちこちに住んでそこに全部下水道を引けといったらそれは無理なわけなんですね。ですから、これからはある程度社会資本の集積というものが限界があるとすれば、別荘地はどこに住んでも結構ですけれども、本来個人が生活の基本とするところはある程度社会資本の整うところに住んでいただくというか、そうせざるを得ない状況になってくるんじゃないかと思われます。
 都市計画のあり方も、これまで余りにも画一的であって、とにかく量をつくればいいというやり方、これは人口が非常にふえて、しかも都市に集中しているときはある程度やむを得ない面があったと思いますが、これからはもっと個人の選択肢を広げるということが大事かと思います。特に、都市に住むというときに全部持ち家にしたらこれは大変なことになります。やはり賃貸住宅というのをもっとつくらなければいけない。それは決して公社公団方式じゃなくて民間の良質な賃貸住宅をふやす必要がある。これは、ふやすというより今ふえない理由があって、そのふえない障害をなくすことなんですね。
 これはもう非常に反発があるかと思いますが、最大の家族向けの良質な賃貸住宅がふえない原因があの借地借家法にあるわけなんですね。借地借家法というのは、家を借りる人が貧しい、貸す人は金持ちだという前提に基づいて金持ちの負担で借家人の利益を図るということで、非常に借家人の利益を保護しているんですが、それは既に住んでいる人には結構なことなんですが、それがゆえに良質な借家を供給するというインセンティブが阻害されているわけです。幸い、昨年ですか、定期借家権法というのが通って、その効果がもう既にあらわれています。定期借家権の適用を受けた借家住宅というのは面積も広いし賃貸料も安いわけです。それはそれだけリスクが少ないわけですから供給がふえているわけで、そういうふうで、やはりこれまでの社会政策のあり方が非常にその場しのぎであったのをもう少し市場の自由な取引を広げることで人々に選択をさせる、そういう選択肢の自由度を高めるということで人々がもっと自由に住みかえられるような制度にしていくということが私は少子化にも役に立つし、また住みよい社会をつくるということにも貢献するんじゃないかと思っております。

○参考人(小川直宏君) ディスパーサルの問題ですけれども、これは、基本的には最初の国土計画の歴史をこう見てまいりますと、拠点開発とかいろいろなところ、町中心にしてそこに工業をつくって工場を移してというそういう戦略をして、そこに人口がだんだん移っていくだろうという話だったんですけれども、だんだんそれが過熱して七〇年代、御存じのように公害問題とかいろんな問題があってだんだんそれが弱くなりまして、国土計画の中でもいわゆる居住権、定住圏構想の辺から環境問題にだんだん配慮されるようになってきて、どちらかというと、そういった生産工場を外に移すというよりももう少し住みやすい環境というようなところに視点がだんだん移っていってしまったということもあるんですけれども、そういう国土計画の変化があったということ。それからもう一つは、今後私が一番おそれるのは、皆さんの選挙区でもあるかもしれませんけれども、農村に行っても、現在、農村に行ってもコンクリートでがっちりとつくっちゃった施設がいっぱいあるんですよね。まず間違いなく十年後にはだれもいなくなるというところがいっぱい出てくるんです、これから。
 そうしたときに、私の話の最初に戻るんですけれども、日本の人口の特徴はスピードが速いものですからあっという間に変わっちゃうわけで、ハードウエアは変わらないんですよ、ずっと残っちゃうわけです、そこに。そういうときに、これから十年、二十年のタームで考えていった場合に、そのハードをどうするかという問題。放置して、そのままでゴーストタウン化させてしまうのか、またはそれを積極的に何かに使うのかという問題が出てくると思います。
 方向としては、八代先生がおっしゃられたように、一極にだんだん周りから、日本全体に今、区役所、市役所の支所、出張所が四千七百カ所ありますけれども、この辺多分大半が閉鎖されることになると思うんですね。だんだんまとまってくると思うんですけれども、そのまとまり方が恐らくは社会資本のあるところへずっと人が集まってくると思うんですけれども、そうしたときに残ったところをどういうふうにして国土を維持していくのか、もうそのまま放置してしまうのか、それとも積極的にそれを壊してそして自然に帰すのかという問題も考えなきゃいけない一つの問題だというふうに思います。
 それからもう一つは、ほとんど国民は無関心と思うんです。私も大学で人口論、人口経済論を講義しているんですけれども、授業の初めに聞くと、学生のほとんどが自分は何とかなると思っているようであります。ところが、授業を聞いてみて、一年間聞いてみて、皆さん深刻に、学生が深刻になりまして、やはり選択なき社会ということがよくわかっていない、何とかなると思っている人が随分いるんじゃないか、国民の間で。そういう点で、無関心さというのは確かに大きな問題で、自分の問題としてもう少しとらえなきゃいけないんではないかというふうに思います。
 ただ、計画を、国土計画も含めて長期計画を日本の中でやるときには、私たち人口学者も時々呼ばれて委員になって行くんですけれども、そのときに議論として、人口は座標軸というとらえ方をしているんですね。要するに、長期計画立てるときに一番最初は座標で、要するに数でとらえているんですね。これが今までの発想法で、何年には何人になるという、そこまでで人口の発想は終わりなんですね。そうではなくて、これからはどういった人が、価値観の変化とか地域の分配の違いとか、そういったものにもう少し目を、配慮しないと本格的な高齢化社会が、もう本格化に近くなってきているんですけれども、そういったのが本当に日本の社会を襲ってきたときに対応できにくいような状況が計画段階から今日本の政府の中で行われる作業の中では見られるんで、もう少しそういった価値観の変化とか、人口の数だけではなくて、日本人そのものの価値観が変わってきていくわけですから、人数掛けることの価値観の変化と、これをもう少し考えていくと、ニーズ、社会的なニーズが今後大幅に変わってくると思うんで、長期展望をされるときにはぜひこれからはそういった面にも配慮してやることが重要だと思います。
 それからもう最後に、無関心といえば、日本の出生力を必ず女の人に、結婚している方五十歳の方に聞くと、あなたは何人子供を産みたいですかと、あなたは何人産みたいですかというと、二人と答えます、大体の人が。ところが、あなたは友だちには何人産んでほしいですかというと、三人と答えるんですね。要するに、自分はなるべく少な目で、友だちには、もう高齢化社会でいろいろ年金やなんかいろんな問題が出てきているというのは知っているものですから、社会的にはできるだけ友だちにはたくさん産んでほしいけれども、自分は二人ぐらいだという、そのミクロとマクロの乖離があるんですよね。この辺がやっぱり、そういう状態から、本当にだからみんながまずいというか危機感というまでは、まだまだ人口問題を本当に深刻にとらえているというふうには理解できなくて、まだ何とかなるさと思っている部分の人がかなりいるんではないかなというふうに思います。ただ、全般的には不安だと答える人が多いんですね、不安だと。やや不安という人が多いんですけれども、圧倒的に。やや不安で、本当に深刻と答える人は余り少ないんです、世論調査でも。
 そういう点で、まだまだもう少し国民の間で高齢化社会、少子化社会のもたらす影響に関して深刻にとらえることが重要ではないかなというふうに思います。そういった宣伝といいますか、PRといいますか、教育というのが必要ではないかなというふうに思います。
 どうもありがとうございました。

○畑野君枝君 日本共産党の畑野君枝でございます。
 もう時間がありませんので、小川先生、八代先生に一言ずつ伺いたいと思います。
 それは、少子化の問題、特に仕事と家庭の両立ということでそれぞれお話があったと思うんですが、そういうことを努力する中で景気回復にどのような影響を与えることができるのか、その一点について伺わせていただきます。

○参考人(小川直宏君) まず、私の言っているのは、景気回復をしていただければ少子化が何とかなるのではないかという、そちらの方が私の主題でありまして、二つ要因があると思うんですけれども、一つは、価値観の変化が一つあるんですね。結婚しても子供をつくらなくていいという人が一九九二年から九五年、五年間の間に四二%から五七%ですか、大分はね上がりまして、これは未婚女性の間で。そういう点で価値観の変化が一つ起こっていることは事実なんですけれども、さらに加えて、やはり今回の私の分析では、かなり景気の先行きが見通せないということが一つ大きな足を引っ張っているので、これはマクロ政策、経済の運営そのものだと思うので、ぜひ国民の間で長期的に大丈夫なんだという安心感を植えつけられるような政策、必ずしも高度成長じゃないんですよ、もう。それはわかっていると思うんですけれども、安定した社会が築けるということを認識することができれば、今回のデータから見た感じでは、かなり出生のタイミングのおくれが取り戻せて歯どめにはなるというふうに考えております。

○参考人(八代尚宏君) 私はむしろ景気政策の方のどちらかといえば仕事を最近多くやっているんですが、小川先生のおっしゃるように、安定した社会が大事だというのはそのとおりだと思います。ただ、過去と同じような形での安定した社会というのは、もうこれは難しいんですね。つまり、専業主婦を雇えるだけの高賃金と終身雇用を保障しろといっても、それはもう今後の低成長時代、高齢化社会では無理なのであって、新しい形の安定した社会、それは究極的に言えば共働き社会なんですね。ですから、その過渡期で今人々は非常に不安になっている。
 ですから、私は、御質問に対する答えとしては、もっと女性が働くのが当たり前になって、それこそが標準的な世帯なんだというふうに考える、それによって人々がそれでも安定した社会だという認識を持ってもらうというのが大事であると。それから、短期的には、今、財政赤字ということが一番の景気の不安要因であって、これはやはりある程度皆さんが働いて税金を払ってもらわなきゃいけない。そのためにも女性と高齢者が働いて税金を払っていただくということが非常に大事なわけでして、そういう意味ではこれからは、女性が働くということと景気安定、経済の安定ということはむしろ相互補完的な状況にあるわけですから、ますます政府も企業も働きやすい社会にしていかなきゃいけない、そこの認識が非常に重要だと思っております。

○畑野君枝君 ありがとうございました。

○会長(久保亘君) 以上で参考人に対する質疑は終了しました。
 小川参考人及び八代参考人には、お忙しい中、本調査会に御出席いただき、まことにありがとうございました。
 本日お述べいただきました貴重な御意見は今後の調査の参考にさせていただきます。本調査会を代表して厚く御礼を申し上げます。
 ありがとうございました。(拍手)
 本日はこれにて散会いたします。
   午後四時三分散会